受刑者の基本的人権
まず私は一般社会で生活するただの市民です。
刑務所に入る予定はありません。
最近少し妄想をして、もし自分が何かの事件に巻き込まれて刑務所に入ることになったら、辛いのはインターネットに繋がったパソコンを使えないことで、コーヒーを飲み、お菓子を食べながら趣味の動画配信サイトのアニメやドラマを見ることが出来ないのが辛いと思いました。
また受刑者には等級のようなものがあり、刑務官の評価によって面会回数やお菓子を購入できる回数、弁当を食べられる権利などが決まるそうです。
これは受刑者の基本的人権を侵害する行為ではないでしょうか?
今の時代インターネットは使えて当然のインフラであり、自由時間に本は読めるけどインターネットはダメというのはただの古臭い慣習で横暴ではないのでしょうか?
刑務官の評価によってお菓子や面会回数が変わるのも、あって当然の人権を刑務官が自分の都合が良いように利用している侵害行為のように思えます。
私が入れば面会人も来ないでしょうから、インターネットの通販を使いたいし、タブレットを持ってその場で電子書籍の購入などをしたいです。
お金があるならお菓子を買って自由時間に何回食べようが勝手だろうとも思います。
刑務態度で仮釈放が早まるのも納得できないです。
刑務官に気に入られれば早く出て来れて、気に入られなければ長くなる。
裁判で決まった判決を刑務官の権限拡大のために歪められている気がします。
みなさんはどう思われますか?
67 件のコメント
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刑務官が被害者とその家族にその態度を伝え、被害者が酌量するという仕組みであるべきかなと思います。
ただ被害者も関わりたく無いと思う人もいると思いますので、その場合、刑務官に一任、もしくは刑期の間酌量無し、という選択もあるかと思います。
犯罪者が刑務所に入ったところで、被害者の気持ちが癒える訳では有りません。
自分が、自分の大切な人が、被害を受けて、犯罪者の人権を考えるのですか?
他の人の気持ちを考える事が出来る人なら、話題に出来ないのではないでしょうか?
制裁があることで「刑務所入りたくないから真面目に生きよう」ってなりますし、制裁なければ「どうせ刑務所に入ってもぬるい生活送れるし好きなこと(犯罪行為)やったれ」と考える人必ずいますしね。
この考えを拡大していけば、日本の治安はこの制裁によってある程度守られているということに繋がります。
それより、学生が校則によって髪形や服装が強制的に決められる方がよっぽど人権問題なんじゃないかと思います。(ある程度は制限必要だと思いますが、「やりすぎ」と思うものありますよね)
・犯罪の予防
・隔離して社会の安全を保つ
・矯正や教育を施す
だそうです。
「犯罪の予防」というのはいわゆる抑止力。
「犯罪を犯すと、自身の自由が奪われる」と思わせないと効果がなくなります。
という訳で、受刑者の自由が制限されるのは当然だと思うし、それを人権侵害だとは思わないです。
そもそも、加害者の人権ばかりがクローズアップされがちな風潮には反対の意見です。
外の事をある程度知る事が可能
人権の捉え方間違ってますよ
人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由が人権
インターネットやコーヒーは除外しても人権は守られます
従って検閲可能な郵便又は電報による方法しか認められていないはずで、電話も不可能ですよね。
ネットなんてその辺どうにでもなる(そもそも暗号化した通信である)から、無理でしょ。
既に在りますよね お隣のに
実地で体験できますね
共産化は差し詰め総監獄化 未来刑務所ですね
自称 善良な人民による忖度人生
生涯 一握りの特権目指して足を引っ張り合う
刑務官側はやりたい放題
汚職額も桁違い
某会長さんや学長さんが可愛く見えますね
刑務所って法的に認められた「基本的人権」を「制限する」場所ですよ?
お忘れでない?
極端な話をしたら、
じゃあ、刑務所自体に住み込ませるのは許せるんですか?
あんなところはイヤだ!自宅待機させろ。
俺を閉じこめるな!人間として扱え!
などは思わないのですか?
刑務所暮らしはOKで、パソコン使えないのはNGなんですか?
線引きはどこにあるんでしょう?
今でもプレステは配給されるのでしょうか?
隣国人民のせいでPS5買えないニッポンジンの人権…
を思い出しました
>> ぴりおどちゃむ さん
最判平成2年2月20日あとこれも
九条の会の主義・主張をも上回るくらいの暴論だと思う。
法務省のページには
「人権」とは「すべての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」であり,だれにとっても身近で大切なもの,日常の思いやりの心によって守られるものだと私たちは考えています。子どもたちに対しては,「命を大切にすること」,「みんなと仲良くすること」と話しています。
とありました。
でも、犯罪者までそれを適用されるのか。
犯罪者にも人権があって当然なのか。
ということになってきますよね。
「人権」を尊重するなら上記の文からは死刑執行はありえないかもしれません。
でも、そもそも、犯罪者が自らの意志で上記文章に記載の権利を放棄しているようにも思えます。
放棄した時点で、犯罪者には「人権」はない気もしますね。
なぜなら、犯罪者が他人である被害者の生命や自由を奪っているので。
すべての人々が生命と自由を確保しなければならないのが人権なのに、そうしようとしてない犯罪者。
権利と聞くと、寄生獣を思い出します🫠
賛否両論あるのは分かっていますが、それでも私は被害者よりも犯罪者の方が楽な生き方をするのはどうかと思います。