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六道輪廻とニルヴァーナ ナーガールジュナ

高貴なる者よ、愛欲の苦悩、死、病、老いなど、多くの苦しみの根源である輪廻を厭い、この悩みについて、たとえ一部分であろうとも心を傾けてください。
父は子となり、母は妻となり、敵は味方となり、またその逆ともなります。それ故に、輪廻する者には、確定したものは何もありません。

各人は四つの大海よりも多い乳を飲んできました。まして、愚か者として輪廻を流転する者が、それより多くのものを飲むことは言うまでもありません。
各人が自らの骨を積み上げてきたものは、メール山の高さを超えています。

インドラ神の世界で尊敬されていた人であっても、カルマの力によって、再び地上に落ちてきます。また、転輪王として生まれても、輪廻するうちには奴隷ともなりましょう。

天女の乳房や腰に触れる快楽を長期にわたって享受しても、後に地獄において、すり砕かれ、切断され、引き裂かれ、耐え難い苦痛を受けるでありましょう。

足が触れるとき地が少しだけ沈むという爽快さを味わい、メール山に長く住んでいても、後に地獄で熱灰や屍糞の上を歩むという耐え難い苦しみにあうでありましょう。

天女にかしずかれ、歓楽と美の園林で生活を楽しんでいても、後に剣のような葉のある樹木で、手、足、耳、鼻を断ち切られるという苦しみを受けるでありましょう。

みめ麗しい天女や黄金の蓮華に満ちたマンダーキニー河に入っていても、後に地獄のヴァイタラニー河の熱水に入るでありましょう。

神々の世界の極めて大きい歓楽や、梵天における欲を離れた幸せを得ていても、後にアヴァーチ地獄の火の薪となって、絶え間なく苦しみを受けるでありましょう。

太陽や月となって、自らの身体の光で世界をくまなく照らしても、後に暗黒にいたって、自ら差し伸ばした手さえも見えなくなるでありましょう。

このように死に至るのでありますから、三種の功徳のともし火を光として受け取るべきです。ただ一人で、太陽や月に接することのない果てしない暗黒の中に沈む、といわれています。

悪行をなす衆生たちは、等活、黒縄、極熱、衆号、叫喚、アヴァーチなどの地獄において、常に苦しみを受けるでありましょう。

ある者はゴマのように押しつぶされ、ある者は粉末のように粉々にされ、ある者はノコギリで切断され、またある者は鋭い刃のある不恰好な斧で引き裂かれます。

またある者は溶けた青銅の熱液に混ぜ合わされ、飲ませれます。ある者は灼熱した刺のある鉄のとがった杭に繋がれます。

ある者は鉄の牙を持った獰猛な犬に襲われて手を空中に上げ、ある者は力なえて、鋭い鉄のくちばしと恐ろしい爪をもった鷹に拐われます。

ある者は様々の虫やカブトムシ、また幾万というハエや蜂や蚊などの、触れると耐え難い大きな傷を与えるものの餌食となって、転げ回って苦痛を訴えます。

ある者は燃え盛る石炭の塊の上で絶え間なく焼かれて口を大きくあけ、ある者は大きな鉄製の釜の中で煮られます。

罪がありながら、息を止めるほどのわずかの時も中断することのない地獄の苦しみを聞いても、恐れを生じないなら、そのような罪人はまるで金剛石を本性とするような無神経な者です。
地獄を描き、見、聞き、念じ、読み、模造する人にさえ、恐れが生じます。まして耐え難い地獄の報いを受ける人においては言うまでもありません。

あらゆる楽しみのうちで、「渇愛のなくなった楽しみ」が最高とされるように、あらゆる苦しみのうちでアヴァーチ地獄の苦しみが最も耐え難いものであります。

この世で一日に三百の手槍で酷く打たれる苦しみでさえも、地獄の小苦にさえ比べるべくもなく、その一部分にも及ぶことはありません。

このように地獄の苦しみはとても忍び難く、百千カルパに渡ってそれを受けても、悪業が尽きない限り、地獄の生を逃れることがありません。

このような悪の報いを招く種子は、身・口・意による悪業であります。御身はそのような種子がわずかでもなくなるように、努力すべきであります。

また動物界にあっては、殺害、捕縛、足蹴りなど、様々な苦しみがあります。寂静にいたる善を断った人々は、互いに果てしなく食い合います。

ある動物は珠、羊毛、骨、血、肉、皮のために殺され、ある動物は哀れにも足、手、鞭、鉄鈎で打たれ、使役されます。

また餓鬼にあっては、欲するも満たされることがなく、そのために生じた苦しみは耐える事ができません。飢え、渇き、暑さ、寒さ、疲労、恐怖から生じた実に耐え難い苦しみを受けるでありましょう。

ある餓鬼は口が針の穴ほどの大きさであるのに、腹は山ほどの大きさがあって飢えに苦しみ、絶えず流れるわずかの不浄物さえも食べる力がありません。

ある餓鬼は身体が骨と皮のようになり、裸のターラ樹の頂のように枯渇しています。ある餓鬼は夜中、口から火を出し、燃えている口に入ってくる我を食物としてとっています。

下級に属する餓鬼は、膿・排泄物・血などの不浄物さえも得られず、相互に顔を噛み合い、首にコブを生じ、ただれた膿をむさぼります。

餓鬼にとっては夏は夜でも暑く、冬は昼でも寒いし、樹には果実が実らず、河もまた彼らが見るやたちまちに枯渇してしまいます。

ある者は絶え間なく苦しみを受け、身体は悪業の縄に固く縛られて、五千年ないし一万年を得ても死ぬことはありません。

このように餓鬼がおしなべて様々の苦しみを受ける理由は、強欲、愛欲、卑俗なる物惜しみのためである、とブッダは説いています。

また天上の幸せにおいては、楽しみは大きいけれども死の苦しみはいっそう大きいのです。このように思念して、尊敬に値する人々は、滅び行く天上の幸せを求めて執着すべきではありません。

身体の艶が悪くなり、座につく楽しみ画失われ、花輪は萎え、衣服に垢が現れ、身体からかつてなかった汚物が生じる、といわれます。

この天上での死を告げる五種の衰滅の印が天界の神々に現れ、それらは地上にいる人間の死を告げる衰滅の印と同じであります。

天界から転落した者に、もし善が少しも残っていないなら、哀れにも動物、餓鬼、または地獄のいずれかに落ちることになりましょう。

阿修羅たちにおいても、彼らは本性からして神の栄光をに組んでいるので、心の苦しみは大きく、たとえ知性があっても、運命の暗さのために、真理を見ることはありません。

輪廻はこのようなものですから、神、人間、地獄、餓鬼、動物などにおける生は良いものではなく、それらの生は多くの害悪の容器である、と知るべきです。

火が突然に頭上や衣服に降りかかると、それを払い去り、しずめた後も再び生じさせないために努力するでありましょう。それ以外に必要な事は他にありません。

戒と禅定とによって、安らかにして柔軟であり、汚れのないニルヴァーナの境地を得るべきであります。それは不老、不死、不衰で、地・水・火・風・太陽・月を離れたものです。

念、択法、精進、喜、軽安、サマーディ、捨が、「七覚支」であって、ニルヴァーナを獲得させる善の集まりでまります。


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