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解脱への門 ナーガールジュナ

肉体は私ではなく、私は肉体を持つものではなく、肉体の中に私があるのでも、私の中に肉体があるのでもない、とも説かれています。その他の四つの蘊も、全て空であると知るべきです。

五蘊は自然に生じるのではく、また時からも、プラクリティからも、実態からも、最高神からも、無因から生じるのでもありません。無明と渇愛から生じる、と知るべきです

よこしまな戒行にとらわれること、自己の身体に関する倒錯した見方、疑念、この三つの束縛は、解脱への都への門を妨げているものである、と知ってください。

解脱は自己をよりどころとするものであり、他の努力によるものではありません。したがって、教学と戒と瞑想とをもって、四つの真理に努めるべきです。

常に、すぐれた戒、心、智慧を学び修めるべきです。プラーティモークシャの百五十一の条項は、この三つの中に収まります。

王よ、身体に関する念処が、歩むべき第一の道である、とスガタは示しています。念処に努め、守らねばなりません。念処が欠けると、全ての法は壊れます。

命は、風に打たれる泡よりも儚いものです。人が息を吸った後にまだ生きていること、吐いた後にまだ生きていること、また眠りから覚めた時にまだ生きていることは、大きな奇跡です。

身体は終わりにいたると、最後には枯渇し、腐乱し、不浄となり、跡形もなくなります。身体は壊れ、分解し、腐敗するものであり、分離する性質のものであると知るべきです。
大地、山、海でさえも、七日にわたって焼かれると炎の塊となり、さらに燃え尽きると何も残らなくなります。まして弱々しい身体は言うまでもありません。
かくしてこの世の全ては、無常であり、無我であり、頼るところがなく、保護するものもなく、とどまるところも無いのですから、最も優れたお方よ、御身は、輪廻とは、心髄のない芭蕉の木のようなものである、ということを心に銘ずべきです。

人間として生まれることは、大海に浮かぶ頸木の穴に亀が出くわすことよりも難しく、したがって、王であるあなたは正しい真理を行なって、その果報を表すべきです。

素晴らしい宝石を散りばめた黄金の容器に吐しゃ物を入れる人と、人間に生まれて悪をなす人とでは、後者の方が遥かに愚かです。

ふさわしい国土に住み、正しい人に依存し、自ら良い願いを持ち、しかも前世において功徳が積まれていること、この四つの大輪が御身に具わりますように。

素晴らしき友をよりどころとする者は神聖な修行を完成する、とムニは説いています。したがって、正しい人をよりどころとすべきです。勝利者ブッダをよりどころとするならば、静寂(永遠の安楽)を多く得るでしょう。

誤った見解を持つ者として生まれること、動物として生まれること、餓鬼として生まれること、地獄に生まれること、勝利者の教えがない時に生まれること、辺境や未開の地に生まれること、無知な者や、ろうあ者として生まれること、長寿の神々の世界に生まれること、これらが「八つの不運の誕生」です。もしそれらを離れ、幸運な誕生を得たならば、さらなる誕生を避ける為に、努力すべきです。


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