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誹謗中傷をする事によって事実がぼやけてる様になってると思いませんか?例えば風評被害はやめて下さい!の一言で、考えられるリスクなどの事実を言う必要性がなくなってきてる様に思います。事実を知るためにも誹謗中傷は止めるべきだと思いませんか?
メンバーがいません。
特にロジカルシンキング慣れしていない、エモーションに行動が揺さぶられるタイプの人間は、そういう状態になりがちです。むかついたからあいつが全部悪い、あいつの言う事は全部間違っているとか。
そういうのを一般には「白黒思考」といって、おそらく精神健康的にはよろしくない状態と思いますよ。
それを回避するとなると、インターネット上の発言はFacebookみたいに実名で行うくらいしか有効な対策はないと思います。
それに、その手の人達は何らかのリアクションがあると喜んでさらに攻撃をしてくるので始末に負えないですから。
最初から、誹謗中傷には法的措置を行いますの方がよいのではないでしょうか?
根拠のない悪口なので事実はそこにありません
事実の追求や不満の発言をやめろとは言えませんのでわけて考える必要があるように思えます
国家が絡む事に対する事実は出てこないのが日本なので、そう言った事への誹謗中傷は無くならないでしょう
むしろ、報道統制でぼやけさせるのが今の日本だと気づくとがっかりです
あくまで風評被害という個人以外の話としての感想です
それを混同するからおかしな事になるんだと思います。
と言う人は、誹謗中傷をしている(?)
というお話でしょうか?状況がよくわかりませんでした。
>誹謗中傷をする事によって事実がぼやけてる様になってると思いませんか?
思いません。
>事実を知るためにも誹謗中傷は止めるべきだと思いませんか?
ほとんどの人はおそらく無関心で、誹謗中傷「等」の問題提起で関心が呼び起こされ、事実が無根であるかどうか調査評価判断される思います。
良し悪しはおいといて、誹謗中傷「等」が事実を解き明かす契機となっている面はあると思います。
具体例を上げて頂けると助かります。
誹謗中傷をしてる場合じゃないよ。って思ってしまう私でした。
ネットでは個人の差異を認めない姿勢で議論をする人が、相手を論破したいからって無意味なマウンティングをするのが多いと思うんです。
そうした行為が結果として議論を中断させる最後の手段になっている人も多い気がします。論破できない時は荒らし行為をしたり、相手が黙るまでマルチ投稿で埋め尽くす等です。
そうなると「誹謗中傷はやめて下さい」となり、議論は中断され、それ以後は閉鎖的な集団のなかで議論が進むようになります。
極度に情報社会が進むと、ネットの世界でも現実の世界でも相手をウンザリさせた方が勝ちな人が目立つ様になります。
一番問題なのは、一番目立つ人が必ずしも多くの人に支持されている訳じゃない事かなと。
本人達は相手が黙っている間はそれに気が付きませんから。
とまあ、こう言うことが言いたいのかな?と思いました。
ありがとうございます
損得問題では無いような…
事実であれば批判、意見だと思います。
事実で無ければ誹謗中傷だと思います。
冷静に話し合えるのが大人ですね。
本当の友達 居るのかな?
誹謗中傷の時点で真実では無いし、損得の問題でも無い。
誹謗中傷する人にとって、真実を求める姿勢はどうでも良く、自分が悪人認定した人に正義の鉄槌を下せれば良いのである。
もちろん、そうした誹謗中傷の「正義の鉄槌」は悪いことである。
誹謗中傷するのは悪いことなのだが、一方で、批判を誹謗中傷と言って、批判する人を悪人にしたがる人も悪いことをしているわけである。
常にその言葉は誹謗中傷か、正当な批判なのか、正しいことを言っているか見極める必要がある。