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Perhaps Love

メジャーリーグのオールスターゲームが今月、アメリカのコロラド州のデンバーで行われます。
大谷選手も出場するので日本でも強い関心を持っている人も多いかもしれません。

デンバーと言えば、前にも書いたことがあるのですが今から約50年前の1972年に札幌で冬季オリンピックが開催され、その次のオリンピックの開催が決定していたのですが開催地が変更され実際には行われませんでした。
これは1972年にジョン・デンバーの歌う「ロッキーマウンテンハイ」がヒットし、それを契機に地元で反対運動が起きたからで結局インスブルックへと変更されました。

ジョン・デンバーと言えば1971年の「カントリーロード(故郷へ帰りたい)」が有名で、この曲は当時ベトナム戦争で疲れ切った米国人に受け入れらました。
日本では後にオリビア・ニュートンジョンの歌ったバージョンのほうが有名かもしれません。

幼い頃に日本にも住んでいたことのあるジョン・デンバーは元々フォーク出身ですが、当時はインテリカントリーシンガー?のような扱いで、反戦や環境問題への取り組みなど社会的活動にも関わっていました。
物議を醸したこれらの歌はその後正当に評価され、2007年にロッキーマウンテンハイがコロラド州の州歌、2014年にカントリーロードがウェストバージニア州の州歌になっています。
2曲も州歌になっているとありがたみを感じませんが、そもそも州歌は100年を超える歴史の中で数えるほどしか制定されていないので、異例中の異例、超ド級の快挙と思ったほうが良いのかもしれません。

ジョン・デンバーは海外では超売れっ子で、1970年代に多くのヒット曲があります。
1980年代に入ってその勢いを失いますが、その中で1981年プラシド・ドミンゴ氏とともに歌ったこの「Perhaps Love」という歌がヒットします。

この「Perhaps Love」という曲がオリンピックにもたらした影響はジョン・デンバーよりも、むしろデュエットしたプラシド・ドミンゴ氏のその後の活躍にあります。

ジョン・デンバー自身は1984年のサラエボオリンピックでテーマソングを歌ったのですが、その後1997年に地震で操縦する飛行機が墜落しこの世を去りました。

オペラ出身のプラシド・ドミンゴ氏はこの曲をきっかけに広く一般に知られることとなり、その後活躍の場を広げて1992年には自身の出身であるスペインでのオリンピックにも登場しています。
(映像の19:30あたりからです)

プラシド・ドミンゴ氏は他国のオリンピックやサッカーのワールドカップなど数多くの場で歌を披露し高く評価されているので、今ではその後の活躍を知る人のほうが多いかもしれません。

私としては1980年代に入ってからのジョン・デンバーの作品には強い違和感を感じる(はっきり言えば嫌い)ので、Perhaps Loveという曲も正直言ってピンとこないのですが、年をとっても声質が変わらず歌唱力も衰えなかった方なので、今聞いてもさすがだなと感じます。


2 件のコメント
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ダータンス ヒルビリーさん
初めまして☺️
おはよーございます
梅雨空の早朝に 大好きな Rocky Mountain Highが お目覚めの1曲だなんて✨
今日はきっと 良い事が ありそう🎵
元気貰いましたヽ(*´▽)ノ♪
ありがとう✨ございます
ジョンデンバーの歌が州歌だなんてかっこいいと思います、そしてどう言う場面で歌われるのか、そこが気になる。
州立大学のスポーツイベントとか、大学や高校スポーツの州のリーグ戦とかでしょうか?、

大谷フィーバーでMLBの中継を見ることが多いですけど、セブンスイニングストレッチで歌われる「私野球に連れてって」等や、球場によってスイートキャロラインやYMCAとか特徴が有る歌が歌われるのが楽しいですね。
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