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『家忠日記』

徳川将軍の家康や家光は、歴史の教科書にも出てくるので、みなさん、ご存じでしょう。

でも、徳川家忠のことはご存じないかも知れませんね。

家忠は、文人であり、歴史家でした。

彼が記した『家忠日記』は、後世に徳川将軍家のことを伝えています。

その原本は、駒澤大学に保存されています。
https://www.komazawa-u.ac.jp/news/other/2019/0323-9048.html

© dico


11 件のコメント
1 - 11 / 11
すみません、『家忠日記』の松平家忠は "徳川" 姓は名乗れていないのでは無いでしょうか?
私が知らないだけなら、申し訳ありません。
dico
dicoさん・投稿者
マスター
松平家は、元々、とくがわ義季の子孫です。
家康は、先祖回帰し、徳川に改姓しました。
> 家康は、先祖回帰し、徳川に改姓しました。

そのことは知っていますが、「徳川」姓は、家康の子孫以外では使われてないはずですし、家康と同じ松平一族でも「松平家忠」は家臣の身分で、家臣の中で徳川姓で呼ばれた事や称された者は無いはずなのですが……。
『徳川家忠』という記録がありましたら、家臣で徳川姓を許された事になりますので、非常に興味深いでのすが……。
dicoさん
『家忠日記』の紹介
(≧∇≦)<【。*†*。☆アリガトォゴザイマス♪☆。*†*。】>(≧∇≦)
dicoさん 、こんにちは♪

リンク先は
本学図書館所蔵『松平家忠日記』 になってますね。

私的には徳川でも松平でも得川でも徳田?
でもいいんですが、 (;^ω^)💦

『家忠日記』の紹介ありがとうございます。
読めないけど、読んでみたくなります。

>> dico さん

なかなか見応えのある無いようでした。ご紹介いただきありがとうございます。
家康が源氏を名乗る経緯と、その前に藤原氏を名乗って経緯など、さらには、帰結する考察として豊臣政権下の家康の立ち位置、および関係性が推測できる内容でした。とても面白い。

ただ、家忠日記が重要な資料ということも、存じておりますが、「徳川家忠」といった呼称は見受けられないのですが……。
私の勘違いなら、まことに申し訳ありませんが、秀忠と間違えておられていたということは無いでしょうか?

>> dico さん

そちらの資料は家康が清和源氏を称するために、徳川(得川)を名乗るようになったことを表すものです。
家臣の松平家忠が「徳川家忠」とされたことが無いのでは? という話なのですが……。

追い詰めてしまうようでしたら、申し訳ありません。
もうこの話は進みそうにないので、お終いにした方がよさそうです。
m(_ _)m

>> Jijing さん

> なかなか見応えのある無いようでした

「なかなか見応えのある内容でした」

の間違いです。申し訳ありません。m(_ _)m
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