恋心は秋の空と共にやってくる

大学2年生の11月頃だっただろうか。世間は学祭シーズン真っ只中で、京都市内はどこもかしこも学祭色で染まっていた。

京都の街は現代日本の人口ピラミッドとは真逆で、10,20代の人口が非常に多い。大学が市内に集中しているからである。

若いエネルギーが街中に充満しており、熱気と波動、そして独特のカルチャーがそこら中に転がっている文化都市である。

幼少期に妖怪に生気を吸い取られたのか、それとも喜怒哀楽の喜の感情が抜け落ちて生まれてきたのか。自分でも定かではないのだがとにかく「陽」のエネルギーが一切ない私にとっては、かなり暑苦しく、居心地が決して良いとは言えない街だった。

特に学祭シーズンは拍車をかけて街中がお祭りムードに包まれるので、私にとっては「スラム街」より居心地が悪かった。

そんな街で2年目の初冬を過ごしていたある日。

数少ない大学の知人(以下M君)から連絡があった。

「オレの彼女の学祭があるから、高松くん一緒に来てよ。」

「……なぜオレがYOUの彼女の学祭に行かないといけないのかね?」

「同志社女子大やねん。女子大に男一人で行くのもなんか抵抗があるから来てよ」

「仕方がないか。忙しいけど、そんなことなら行くしかないか。。」

「女子大」という、強烈なインパクトのフレーズに後押しさせて、下心をひた隠しにしながら同志社「女子大」の学祭に行くことになった。

同志社女子大といえば、通称「同女」で通っており、品があって、家柄もよく、そして可愛い。そんな学校カラーが先行しており、私もそのカラーを信じて疑わなかった。

現地に着くと、M君とその彼女、そしてもう一人女性がいる。その彼女の友人らしい。

同志社女子大の1年生だったその彼女(以下Aさん)は、木枯らしが吹きはじめているにも関わらずノースリーブ姿だった。

家を出る直前に鏡を見た本人も、さすがに季節感がおかしいと自覚したのか、長いストールを首に巻いて、上半身を覆うように羽織っていた。
ストールの間から見え隠れする、腕と首元が妙な色気を醸し出しており、この寒空の下で未だに腕と、首元をさらけ出しているのは彼女だけだった。

通り過ぎる学生たちは、その艶かしいAさんの姿を、一様に好奇の目で見ているようだったが、彼女はそんな事を気にする素振りは全くなかった。同女の名に恥じない、品格の高い美しすぎる女性だった。

一方の私は、あまりにも貧乏だったため、季節の移り変わりに対応する金銭力が追いついておらず、11月でも半袖で過ごしていた。

事情は天と地ほどの差があるが、偶然にも「寒空の下でたった2人だけが半袖」という共通点がこのエロスの神様との間で生まれた。

4人で、キャンパス内を回っていたのだが、団体行動が苦手な私は1時間も経たないうちに、イヤになってきた。。。せっかくエロスの神様とお近づきになれるチャンスなのに、それ以上に「団体行動の辛さ」が優ってしまいもう帰ろうかなと思っていた。

フラフラと歩いていると、遠くの方から、ドラムを叩く音が聞こえる。音の出元に吸い寄せられるように近づいていくと、軽音楽部が野外でライブをやっていた。

当時からバンドをやっていた私には非常に興味深い対象である。この時点で3人とはいつのまにかはぐれており、私は単独行動になっていた。しかしそんな事は気にもせずに、軽音楽部の演奏に見入っていた。

当時はミクスチャーロックというジャンルが流行っていた。簡単にいうとラップとハードロック音楽の融合といった感じの音楽である。

ラップのような反骨精神を歌に乗せて表現するルーツも、ましてやハードロックのような荒々しい男らしい要素も、どちらの要素もオールゼロの私なのだが、このジャンルには非常に精通しており、ウンチクだけはよく知っていた。いわゆるオタクである。

しばらく演奏を見入っていると、いつのまにか横にAさんが立っているではないか。

「どうしたのかね?」

と声をかけると私も音楽を聴きにきたと。

「それはいい事だね」と、曲を聴いては、そのバンドのうんちくを彼女に一方的に講談し、また曲を聴いては講談し。。の繰り返しをしていた。

そして私もバンドをやっているのだよ。プロになろうと思っている。と伝えた。

当時は本当にメジャーデビューするものだと信じて疑っていなかった。ちょうどその頃大手レコード会社の最終オーディションまで残っており、もう一つ掴みで夢が現実になるところまで来ていた。

その事も彼女に伝えると、目の色が変わったように、私を見てくるようになった。彼女の中の何かにスイッチが入ったのだろう。先ほどまでの、変人を見る目とはまるで違う、羨望の眼差しさえも感じるくらいの勢いで、グイグイと押してくる。

お世辞にも綺麗とは言えない私の身なり。

フリーマーケットで100円で買ったTシャツ。それもレディスサイズのピチピチのピチT。

ガリガリに痩せている上に、冬にも関わらずやけに日焼けした体。

そして、天然パーマの髪を伸ばし続けた結果レゲエ音楽を奏でる、痩せこけた、東南アジア人のような風貌になっていた。

Aさんのように、美しく真っ当な人生を送る人とは真逆のベクトルをひた走っていた当時の私。

Aさんのような高貴な人とは一生交わる事のない人生を送るはずだったはずが。。

「メジャーデビュー」

このセンテンスは、そんな真逆のベクトルもひっくり返すくらいのビッグワードなのだろうか。まだデビューも決まっていないのに、このワードを出しただけで、あんなに綺麗な人がえらい食いつきようである。

Aさんとは、連絡先を交換してその日は別れた。

翌日、友人が「Aさん、高松の事えらい気に入ってたで」と言うので、「メジャーデビューの力よ。おれは、Aさんを抱こうかと思う」と返答しておいた。

それから、すぐさまAさんに連絡を取り、数週間後に会う約束をした。

Aさんと会う日までに例のメジャーデビューがかかった最終オーディションがあり、あっさり落選した。

Aさんとは、ちょくちょくメールをやり取りしており、たわいの無い事を言い合っていた。

「最終オーディションどうだったの?」と聞かれたので、「あぁ、落ちたよ。また頑張るわ。」と返信すると、その日は返信がこなくなった。

翌日も翌々日も返信は来ずに、約束の日の前日に、「ごめんー!バイトが入って行けなくなったの!!ごめんね!」と返信がきた。

私は悲しい気持ちや、怒りの気持ちなどは芽生えずに、やっぱりメジャーデビューという肩書きの男が好きなんだな。。。世の中は金と地位と名声なんだね。。。

と、一つの真理を痛感した。

それから、20年。

私はこの経験を糧に、何もかもを犠牲にして、ただひたむきに音楽とドラムに向き合って、日本の音楽シーンを牽引するドラム界のホープになった。

といえば、素晴らしい過去の苦労話になるのだろうが。。

それからも、何度もオーディションを受けたが、最後で落ちる。

そんな事をしている間に、いつのまにかバンドも解散して。。

今でもたまに思うことがある。あの時本当にメジャーデビューしてたら、芸能人と結婚してたのかも。。もっとモテモテになってたのかも。。

そう思うと、もっと真面目に音楽やっとけばよかったなと思わなくも無いのかな。。

終わり。


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コメント 3

あの時あの頃こうしてたら…と思うのはほとんどの人がそうですよ。
そしてサクセスストーリーを語れるのはほんの一握りの人だけです。
本人の努力のみならず元々の才能、運、お金、タイミングなんかも関係しますから。

まっ、人生色々ありますよ🤗
今を楽しみましょ🎶

横山キーチさん

若い頃の夢があって良かったですねえ🎵

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