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スマホがない時代の恋愛ムズすぎ!阪田マリンが再現する昭和ドラマあるある

スマホがない時代の恋愛ムズすぎ!阪田マリンが再現する昭和ドラマあるある

現場監督@運営事務局
ライター: 現場監督@運営事務局
2018年7月に社内で建設業を担うリアルな現場監督業務の部署から、mineo法人の営業企画部署へ異動(転職レベルの異動でした…)し、2022年7月にmineoの運営統括の職に就いております!

突然ですが、みなさんは昭和生まれですか? 平成生まれですか?

携帯電話が登場したのは昭和62年(1987年)。その後、普及が進み、総務省の調査によると平成12年(2000年)には調査対象世帯の75.4%が携帯電話を保有していたそうです。

携帯電話が存在・普及していない昭和の時代では待ち合わせだって一苦労。つまり、恋愛のシーンにおいては今では考えられないくらい大変なことがたくさんあったのです。
通信手段といえば固定電話が当たり前。自宅や会社から一歩出ると、急な連絡は公衆電話を頼らなければいけません。

インターネットを介すれば通話かけ放題、メッセージ送り放題が当たり前の今の時代と比べて、恋愛の難しさが段違いだったのではないでしょうか。

そうやって昭和のことを考えていると……

「昭和だからこその良さもありますよ!」

バブリーなスーツに身を包んで登場したのは、昭和をこよなく愛する阪田マリンさん。

阪田マリン
2000年12⽉22⽇⽣まれの23歳。中学生の時から昭和カルチャーにハマり、「ネオ昭和」をコンセプトに昭和の魅力を発信するインフルエンサー兼アーティスト。懐かしくも新しい“ネオ昭和歌謡プロジェクト”「ザ・ブラックキャンディーズ」としても活動中。昭和99年6⽉12⽇に初の写真集“今って昭和99年ですよね︖ 阪⽥マリン1st写真集”を発売。

今回はZ世代の阪田マリンさんにお越しいただき、リアル昭和世代であるmineo社員の「現場監督@運営事務局」と対談。昔のドラマの話を交えつつ、昭和の恋愛あるあるをテーマにお話していただきました!

リアル昭和世代と昭和を愛するZ世代が、あのころの良さを語る!

現場監督
よろしくお願いします。阪田さんはなにがきっかけで昭和のカルチャーを好きになったんですか?
阪田マリン
最初に興味を持ったきっかけは、祖母の家で見つけたレコードプレーヤーです。チェッカーズの『Song For U.S.A.』のレコードを聴いて、音楽を聴くことへの手間のかけ方に尊さや愛おしさを感じました。それからレコードを集めだして、高校生のころに昭和のヤンキー映画にハマって……。
現場監督
湘爆とか……?
阪田マリン
『湘南爆走族』大好きです! 漫画も全巻持っていますし、アニメも見たし、実写版の江口洋介さんが紫のリーゼントをしていたのも見ました。『ビー・バップ・ハイスクール』も好きです!
昭和のヤンキーに憧れすぎて、高校2年生の時に改造スカートで登校したという阪田マリンさん(阪田マリンさん提供)

現場監督
見てたなぁ!
阪田マリン
ヒロシとトオル、どっち派ですか?
現場監督
ヒロシかな〜!
阪田マリン
私も! W浅野は温子とゆう子どっち派ですか?
現場監督
温子やねぇ。
阪田マリン
素敵ですよね〜! 浅野温子さん大好きです。
現場監督
僕は昭和49年(1974年)生まれで、中学生くらいからトレンディドラマが流行ってた。明石家さんまさんと大竹しのぶさんが共演した『男女7人夏物語』とかめっちゃ見てましたわ!
阪田マリン
グループに1人プレイボーイがいるんですよね。『東京ラブストーリー』だと江口洋介さん。 やっぱり江口洋介さんみたいな髪型が流行っていたんですか?
現場監督
江口洋介さんみたいなロン毛!? あんなん男前じゃないとあかんよ(笑)! そもそも中学生やから髪も伸ばされへんし、ドラマの世界やなって感じやったね。

実家に電話をかけるドキドキ、部屋に黒電話を引っ張ってきて長電話

阪田マリン
学生時代はどうやって恋人と連絡をとっていたんですか?
現場監督
もちろん実家に電話やね! 「彼女が出ますように……」ってドキドキしながら。お父さんが出たらビビるけど、そのとき使えた全力の敬語で喋ってましたわ。
家族に聞かれないように、自分の部屋まで電話を引っ張ってくるのもあるある

阪田マリン
ドキドキして電話をかけて本人が出てくれたときの喜び、味わってみたいな。「やったー!」って感じですよね。今はネットの通話なら話し放題ですし、カップルで寝落ち通話っていうのも聞きますが、制限があるやりとりならではの良さってありますよね!
現場監督
電話があるところに行かないと電話でけへんし、出なかったら「しゃーないか」ってなってましたねぇ。
電話くれるって言ったのに……。簡単に電話ができない切なさも

阪田マリン
携帯電話がないですし、電話をするのも一苦労だったんですよね。「なにしてる!?」「5分ごとに連絡して!」という面倒なやりとりや束縛も、今だから生まれちゃうんだろうなって思います。昭和だったら、連絡手段は電話か手紙か……もどかしいけど気持ちも高まるだろうなぁ。
現場監督
そういえば、あのころは卒業アルバムに住所録が載っていたし、芸能人の住所が載っている雑誌もあったんですよ。
阪田マリン
えー! 今では考えられないですよね。 仲良い友達でも住所は知らないかも。
現場監督
年賀状を送ることも少なくなったよなぁ。昔はペンフレンドと文通とかやってた。当時は雑誌や新聞に文通募集コーナーがあって、個人の名前や住所が載ってたん知ってます?今やったらSNSやマッチングアプリで出会えるけど。
阪田マリン
文通っていいですよね。ペンフレンドって響きが素敵。今はSNSでたくさんの人とつながれるし、すぐに返事が来るのが当たり前ですけど、手紙は返事を待つ時間が尊い。レターセットやペンを集めたり、丸文字を練習したり……。手紙って、やっぱり特別感があります。

会社に私用電話!? ポケベルや公衆電話はドラマに欠かせないアイテム

現場監督
今日の服装はOL風?
阪田マリン
はい! mineoさんのオフィスにお邪魔するということで、肩パットばっちりのOLファッションにしてみました。会社といえば、ドラマを見て驚いたことがあって。友達が勤めてる会社にコンパの約束の私用電話をかけたり、奥さんが「主人は出社していますか?」って聞いたり……。そんな感じだったんですか?
現場監督
そうやったなぁ。昔はそれしか連絡手段がなかったからね。今は仕事のやりとりもチャットが多いし、会社の電話はあんまり鳴らへんね。ちょうど僕が社会人になったころは、ポケベルも使ってたよ。
阪田マリン
ポケベル! やっぱりみんな持ってたんですか?
現場監督
そりゃ、持ってましたよ! 当時は『ポケベルが鳴らなくて』というドラマもヒットしたし。
本日は撮影用にポケベルもご用意しました

阪田マリン
わぁ〜! ポケベルの実物を初めて見ました! 番号を組み合わせてメッセージを送ったり、呼び出しが入って折り返し電話をしたりするんですよね。
ポケベルは受信専用。出先で鳴ったら公衆電話を探して駆け込んだ

現場監督
文字が送れるようになった初期は数字でのやりとりしかできなかったから「49106」で「至急TEL」とか、「114106」で「アイシテル」とか語呂合わせの「ポケベル暗号」を使ってコミュニケーションをとってたね。
阪田マリン
覚えるのがすごく大変そう! でもそんな制限されたやりとりも愛おしい……!
現場監督
ポケベルや携帯電話の普及によって、不倫や浮気が増えたということもあるんかなぁ。
今では考えられないような制限されたやりとり。それでも当時は革新的だった

公衆電話も昭和のドラマでは欠かせないアイテム

阪田マリン
昭和のドラマでは、公衆電話で別れ話になって電話が切れて、そして雨……みたいな演出ありますよね。
現場監督
あるある! 刑事ドラマでも血だらけになって公衆電話ボックスの中で倒れるシーンとか、よくあった(笑)
途中で電話が切れてしまわないように10円玉を山積みに

阪田マリン
大事なところで電話が切れるんですよね。そういうもどかしさが昭和のドラマの醍醐味です。
現場監督
今やったら携帯電話一つで解決できてしまうことも多いから、ストーリーや演出は変わったかもしれへんなぁ。

ことあるごとに爆発、大量の風船など、演出重視の昭和のドラマ

阪田マリン
私が昭和のドラマに求めているのはリアルさじゃなくて、「えっ、こんな展開になるんだ!」という現実味がないものなんですよね。道でぶつかったムカつく奴が実は転校生で再会したり「そんなこと本当にある!?」くらいのドラマが面白い。
現場監督
近くにいるのにすれ違って会えないかと思えば、ありえない確率の偶然で出会うパターンもあるあるやね(笑)
阪田マリン
あと、昭和のテレビや映画って意味不明な演出が多いですよね。私は『スローなブギにしてくれ』という角川映画が大好きなんですけど、浅野温子さんが部屋で風船をたくさん膨らませて、そこに飛び込むシーンがあるんですよ。
現場監督
それはどういう意味が……?
阪田マリン
わからないんですけど、角川映画は風船をよく使うんですよ。薬師丸ひろ子さん主演の『メイン・テーマ』という映画にも大量の風船が空に上がってるシーンがあるんです。「なんで?」ってなるんですけど、意味がわからないからこそ印象的で、今では考えられないシチュエーションに惹きつけられます。
現場監督
やりすぎな演出も多かった! 刑事ドラマでは車が爆発しがち。『西部警察』は、車はもちろん船や家までなんでもかんでも爆発しとった。いかに視聴者を惹きつける演出ができるかが大事やったんかもなぁ。
阪田マリン
相当お金もかかってますよね。ドラマのワンシーンで家を丸ごと爆発させるなんて……。トレンディドラマの主人公が住んでるお部屋がすごい高級マンションだったり、バブル時代の熱気が伝わってきます。
現場監督
わかるわぁ。現実味はないよねぇ。
阪田マリン
『セーラー服と機関銃』も! 女子高生が機関銃を撃ちまくるなんて決してリアルな設定じゃないけど、やっぱり面白いじゃないですか。ああいう、意外な組み合わせが好きなんです。

待ちぼうけにすれ違い。きっと君は来ない……クリスマスソングも失恋がテーマ

阪田マリン
昭和の恋愛ドラマって、待ちぼうけのシーンが多いですよね。携帯電話がないころは、待ち合わせの時間に相手が来なかったらどうしてたんですか?
現場監督
そりゃ待つしかないよ〜。実際、2時間くらい待ったことがあったかな。彼女が車で来るって言ってたから路上で2時間。道が渋滞してたらしいけど、そういう「ちょっと遅れる」っていう連絡も携帯電話がないとできなかったからね。
阪田マリン
ちなみに、ダンディな男性はわざと5分待ち合わせに遅れて来るって聞いたんですけど……。
現場監督
そんなことできなかった(笑)。会えへんかったら嫌やから、ちゃんと時間に行って待ってたよ!
阪田マリン
「100ワットの恋人」という曲の歌詞にあったので、そうなのかなって思っていました!「本当に相手が来るのかな?」「あとどれくらいで来るのかな?」って待っているときは不安だけど、その分ちゃんと会えたときの喜びがありますよね。
特別な日に待ちぼうけ……。気持ちが通じ合っているのにすれ違ってしまうことも

現場監督
便利になりすぎて失った感情もあるんかもなぁ。
阪田マリン
牧瀬里穂さんが出演したJR東海のクリスマス・エクスプレスのCMが大好きなんですけど、昭和のCMやドラマは走ってるシーンも多いですよね。会うために必死なのが伝わってキュンキュンしちゃいます。
会えないときは探しに行くしかない……!? 恋人との待ち合わせ一つでも歌詞が生まれる

昭和っていろいろ難しい! だからこその良さがあって、その良さがわかるのは今だから

現場監督
昭和ならではの良さをたくさん語ってもらったけど、今はやっぱり窮屈だと感じることもある?
阪田マリン
なにかと不適切だと言われて制限されるなど窮屈な部分もありますが、大好きな昭和のカルチャーを詳しく知ることができたのは今だからこそだとは思います。スマートフォンでいろいろ調べたり、YouTubeを見たり、便利なものがいろいろ登場してくれたことで当時を知ることができました。それにスマートフォンがなかったら、ネオ昭和を発信する仕事もできていなかったと思います。
現場監督
あれ? やっぱりスマートフォンがある今の方が良いなって話になってへん?
阪田マリン
いえいえ、昭和も大好きだけどそれぞれの良さがあるなっていうことですよ!

阪田マリンさん、ありがとうございました!

昭和には凝縮されたやりとりの良さがある一方、平成・令和には手軽に繋がれたり好きなことを発信できたりする良さがあります。「昭和の恋愛ってムズくない!?」と振り返りつつ、あのころのもどかしさやドキドキに思いを馳せてみるのも楽しいのではないでしょうか。


企画・編集:人間編集部
写真:木村華子
イラスト:百瀬ガンジィ


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57 件のコメント
8 - 57 / 57
今では誰もが持っているスマホですがむかしは連絡ひとつ取るにもかなり苦労したことを思い出しました💚むかしにもあったら今とは違った生き方ができたでしょうね
そうかぁ。ギリギリ前世紀生まれの人にとっても、もう昭和はレトロの対象なんですねぇ。少々ショックですが、まぁゲームのSIRENに出てくる古民家みたいなトコで生まれた小生もひぃ婆さん家には電気と水道が無かったしトイレが屋外独立だったしレトロが分からないでも無いけども、、

以前はイベントの一つ々々がいちいち大仰かつ重要だったんですが、最近は何もかもが一時的な使い捨てに近付いているようで、「無駄に急いで枯渇しなけりゃ良いけど」とか時代遅れのロートルは無駄に心配します。ある程度は性能 落とした方が効率性と持続性は改善するんですがねぇ、、、皆 目先の短期的視野ばかりの小粒っ子ばっかりで
出先同士だと連絡手段なかったですもんね。
よくやってましたよね我々。
駅の伝言板とかね。

♪「ダイヤル回して手を止め」るんですよね。わかります🦒

恋におちて -Fall in love-
https://ja.wikipedia.org/wiki/恋におちて_-Fall_in_love-

どえらいデビューシングルだと思います

(話が長くなるので自スレ立てます)
昭和は良かったですよ。電話は共同電話、後は文通。手紙は届いたのか、返事は来るのか?その待ち時間の時が楽しみでした。
通信手段は手紙と固定電話
まさに青春のまっただ中でした!
お疲れ様です。
文通してましたー。
どうしてるかなー。

文通.jpg

私のような年齢の人は(黒電話)ダイヤル電話や文通(手紙やはがき)が唯一の連絡方法でしたねぇ~~~!!!!

今はとっても便利な時代にはなりましたが、なんだか世知辛い世の中になったようで、サビシイ~~~??!!

昭和の時代がとっても懐かしくなりました~~!!!!
駅前に伝言板(黒板)にチョークで書いてた〜。還暦世代は知ってる〜でしょ。
昔は固定電話、共有の公衆電話、最悪電報等しかなかったので連絡が付かないケースがあった。
現在は携帯で24時間対応となり、せかせかすることになったかなぁ。
この文章を書きながら、会社に連絡がない先輩に電報で呼び出そうとした現場のことを思い出した。
・9時を過ぎたら電話はしない
・8時を過ぎてたら「夜分恐れ入ります」を言う

なーんて守ってましたね!
電話の前でドキドキすることも‥

なんか50年位前のほうがえー感じもします🤨
📟ガラケー時代懐かしいです
あれから30年になりますね(⁠^⁠~⁠^⁠;⁠)⁠ゞ
ガラケーが出た当初から今もずーっとガラケー続行中です🤙
当初は便利だなぁと、即伝えられる安心感がありました。
今は、、時短⁇便利⁇時間を逆に取られる。追われる。
便利なはずのモノから…こちらが使われている。
そんな気持ちになることがあります。

携帯で24h対応時代…一応安心出来ますね。。(頼む側の時の巻!))
対応する側は急な呼び出しにて休まる気がしない~~
側楽ぅ〜働く機会が夜明け前多いねんーー。

昔のドキドキを思い起こす記事をありがとうございます。お疲れさまです。
ゆっくり生き隊です🕊🖋🐤
電話機が小さくなって早々に携帯デビューしたものの、誰からもかかってこなくて、友達がいないことに改めて気付かされた昭和の思い出(苦笑)
音だけのポケベルもたされ、公衆電話探し、電話する。テレフォンカードが出てきて小銭の心配をしなくてもよくなったりしてた時代も…昭和レトロですね
丙午の生まれのアラカンです(がガジェット大好き)。

スマホもない時代、仕事で、お客さまに電話をかけたのですが不在のため、折り返しを頼んでから帰宅。

自宅に帰り着いたら、留守番電話が赤く点滅しメッセージありを知らせてくれていて、彼女か友達かな?と聞いたら…「折り返し差し上げました…」と、昼間のお客様の声でした。

どうやら、連絡先に自宅の電話番号を伝えてしまったようでした。今なら、スマホにかかってきたら、すぐ分かるのに…!💦

>> くさや爺 さん

駅の伝言板ありましたね。
こちら関西地方でこないだまで昭和名作ドラマとして「スチュワーデス物語」を再放送していました。
子供達はドン引きでしたよ🤣
ま、あの頃でもだいぶぶっ飛んでたドラマでしたが、、😅懐かし過ぎました😁ヒロシ、、と言いながら口で手袋を外す、ちょうどこの時期また真似できそうです😆

ダイヤル電話は実家でまだまだ現役です😄
懐かしく当時を思い出しながら拝読しました。
34年前に転勤先で妻と知り合い、3年後に赴任が解け帰任してから結婚するまでの2年弱は遠距離となり、当時はもちろん携帯もなく、毎日の電話もまだまだ通話料が高額となる時代でしたので手紙でやり取りしてましたね。
今にしてみれば大変な時代でした。
やり取りした手紙はお菓子の缶いっぱいに入っています。
今は便利な世の中になりました。
大変な時代でしたねー。
いまは便利すぎるかもしれないですけど。
面白い記事でじっくり読みながら、自分のことのように思い出してしまいました。
ポケベル使ってましたねー
確かに今と比べれば不便だったけど、いい時代だったなぁ
昔は待ち合わせするにも、何月何日、何処に、何時頃、と事細かく決めた物です
便利過ぎる世の中の弊害か
現代において、相手へ意志を伝える時の言葉足らずや
約束事もだけど、自分の中でだけ完結してて相手に伝わって無いとか
わかってくれる「だろう」、相手も理解してくれる「はず」みたいな
何故わかってくれないのか?っていうメンヘラ女子みたいな人増えましたからね
お、お元気様です(^_-)-☆

監督さん!!!
なかなか、やりますね(^_-)-☆

色々なイベントで、お世話になりっぱなしで恐縮です((+_+))

小生は監督さんより14歳年上だよ(^_-)-☆

長く生きていると、俗世間にまみれて自分自身を見失う
事が多いけど、監督さんには、それを微塵も感じませんね(^_-)-☆
よっぽど強い、心に、自分に信じる芯があるのでしょうね(#^.^#)
これからも、持ち続けてね(^_-)-☆
工夫したり、ドキドキしたり、昭和の良さがありましたね!(・・)
今思えば不便かもしれませんが
これはこれで良き時代でした。
あははw とっても興味深く読ませて頂きました。髪型などの再現もツボってしまいまいした。

高校生の頃、ハワイの女の子と南アフリカの女の子と文通していました! ペンフレンド、当時はペンパルと、、、w(私も女子ですw)

1.ハワイの子吹奏楽の高校生のイベントに参加するために来日&京都のホテルに宿泊!待ち合わせするため、ホテルのオペレーターの方を通じて、部屋の電話を鳴らしてもらっての会話を。英語ですし、めちゃくちゃ緊張しました!でも無事に会えて、本当に嬉しかったです。その後大人になってからも数回会いました。

2.映画系の雑誌で知り合った南アフリカの子(オランダ系のダンスの上手い女の子)は、数回文通したのですが、ある時日本製のカメラを送って欲しいと、、、高校生だった私は怖くなって文通やめてしまいました。ぶひひw あの人は今。。。w 
懐い。若いのに昭和を愛してくれて有難うと思います。
昔のホームドラマで年頃の女の子が友達からの電話や話す内容を聞かれるのが嫌だから自室に子電話を引きたいみたいな話でお父さんと喧嘩すると言うくだりが一時期よくあった記憶があります
あとは長電話しすぎで通話料金が高額になったとか。
今ではくだらない話ですが、ボーイフレンドの電話は父親が取り継がないとか家庭によっては理不尽な制約がありました
今は便利になったから分からないだろうけど、無いはないなりに、どうにかなったものですよね😅

もう元には戻れないし、戻りたくないですが…😆
伝言板懐かしいです。
黒電話の線は15メートルくらいありました(⁠⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
なるほど。昭和の良いエッセンスだけ味わうなら、それも良し。実際には、今で言うパワハラ・セクハラ当たり前。体罰なんて朝飯前。上司・先輩の理不尽上等。やられて嫌だったことを後輩・部下にもれなく再生産。モラルハザードに満ちた時代に帰りたいか?と問われれば、素直に「はい」とは言い切れない、そんな時代。
便利な世の中で、人間が失ったものも考えてみたくてね。
そんな時代もあったねと〜🎶
いつか話せる日が来るわ
「もしもし。… お、二郎か。ヒロシだよ。はい山田です なんて今日はやけに神妙じゃねーか。さては横っちょでハゲ茶瓶の親父が聞いてんだろ。構わねーから抜け出して来いってのー。宿題なんか後でいいじゃねーかよう。ボーリング場の前で4時半、二郎っ!なっ!」

『少々お待ち下さい。おい二郎!ヒロシ君から電話だぞ!』


※ なべおさみの電電公社ゼロ番サービス【電話応対 失敗の巻】より。

>> チッチのママ さん

そうなんです。
なんだかんだで、どうにかなったものです。😅
今だから見える昭和ですね
今からしたら不便や悪い事もそれなりにありました
でもその上での今なんですよね
本を買ったら奥付に著者の自宅住所が書いてあることもあった。マンションの一室だったり、高級住宅地だったり。
時々ファンレターや質問、情報提供を書いて送ってました。マメな方は毎回丁寧な返事頂けるのですが、却って気を遣いましたね。
そういう
 時代も…
あぁ…ったねと…♪


まぁ…
そういうこっちゃ♪
°…° イィヒヒヒ
内容は昭和末の話でしたが、今の中高生とかにとっては時代劇と変わらないレベルの内容なのではないだろうか?
帰宅した相手と好きなタイミングで話をするなんて不可能でしたから。

サスペンスなんか、
「電話線が切れたから警察が呼べない」
で理由付けが完璧という楽な時代でした。今はどう理由付けしても嘘くさくなりますね。

以前、知人の子供達に、地域によっては本当にビー・バップ・ハイスクールに出てきたみたいな連中がぞろぞろ歩いていたって言っても信じて貰えなくて、当時の写真を見せたら凄く驚かれたことがあります。
(まあ、その子供達が一番驚いていたのは、その写真に写っていた自分の母親の過去の姿でしたけど……)
なんだか懐かしい昭和の時代を色々と思い出すようなインタビューでしたね。今と大きく違うのは、やはり連絡手段ですね。固定電話しかなく、どこでも簡単に連絡が取れない時代が、今やいつでもどこでも連絡が取れるなんて、時代も技術も進んだよなー、ってインタビュー読んでつくづく感じました。固定電話しかなかった時代の思い出は、昭和世代あるあるで皆がエピソードを持っていると思います。今の時代の人たちにはピンと来ないだろうなあ…(しみじみ)
30数年前までは普通だったのが、懐かしいですね
私のようにような遠距離恋愛連絡(現在の妻)では電話が必須でしたね。
お疲れさまです🤗
当時最先端でも、今ではネタになっちゃいますね。
でも、時代が変わり、新しい文化やツールが生まれても
その時々での良さと思い出があっていいものですね🤗

何十年後「あったねスマホ、懐かしい」とか言って…
おもしろい記事をありがとうございました
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