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「由美かおる」のレトロ看板は今も田舎道で微笑んでいるのか【マイネ王調査団】
1965年生まれ。京都在住。ライターと放送作家を兼業し、近畿一円の取材に奔走する。テレビ番組『LIFE 夢のカタチ』(ABC)構成。著書に『VOWやねん!』(宝島社)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)『恐怖電視台』(竹書房)などがある。
「昭和の風景」だった由美かおるさんの看板とは今でも出会える?
初めまして。ライターの吉村智樹と申します。昭和40年生まれの57歳、「前の大阪万博世代」です。
この間、取引先にいる平成生まれの社員さんに「あなたの懐かしのヒット曲といえば、なんですか?」と尋ねたら、「MONGOL800の小さな恋のうた」と返答され、絶句してしまいました。モンパチ、私の感覚では、つい最近のバンドだったので……。
そんなメタボ中年に突然、みなさんが抱いている素朴な疑問やお悩みを解決する、マイネ王調査団からお呼びがかかったではありませんか。「いったい、なにごと?」と、蚊取り線香のように目をくるくるさせて驚きました。訊けば、このような調査依頼が。
なるほど。確かに、私は由美かおるさんド直撃世代。「由美かおる」という、どっちも下の名前みたいな、逆・島崎藤村のような芸名を持つ彼女は、昭和生まれの私が幼少期に初めて出会った女神でした。お声がかかったのは、そういうわけか。
……といっても、由美さんは決して「懐かしい」存在ではありません。72歳の現在も得意のY字バランスによって抜群のプロポーションを維持し、今なお週刊誌の表紙を飾る大女優なのです。
由美かおるさんって、どんな人?
つば五郎さんのおっしゃる通り、由美かおるさんを超メジャーにしたのは、テレビ時代劇『水戸黄門』。彼女は忍者(くノ一)「かげろうお銀」に扮して軽快なアクションを披露し、国民的な人気を博しました。
そんな由美さんですが、そもそもはダンサー。小学生の頃に大阪の「西野バレエ団」に入団しました。この西野バレエ団からは「レ・ガールズ」という、ミニスカート姿でゴーゴーを踊るダンスアイドルユニットが誕生したのです。由美さんはこのレ・ガールズの主要メンバーで、当時の愛称は「ミーコ」。彼女らは、主役を張る冠バラエティ番組が誕生するほどの大人気アイドルでした。
キレッキレのダンスでお茶の間を心酔させた、レ・ガールズ。平成以降のユニットにたとえるならば、参議院議員の今井絵理子氏がかつて在籍した「SPEED」、人気ママインフルエンサーのDream Amiが在籍した「E-girls」、はたまた鞘師里保加入以降の「モーニング娘。」、“根も葉もRumor”からの「AKB48」といったところでしょうか。
そんな由美かおるさんの「看板」といえば、アース製薬の蚊取り線香「アース渦巻香」のホーロー看板。「琺瑯(ほうろう)看板研究所」※所長、佐溝力さんの著書『懐かしのホーロー看板 広告から見える明治・大正・昭和』(祥伝社)によると、由美さんの看板は昭和46年前後に誕生し、俳優の故・水原弘さんの「ハイアース」の看板とセットで街角に貼られる場合が多かったとのこと。
※琺瑯(ほうろう)看板:金属板にガラス質の釉(うわぐすり)を高熱で焼きつけた看板。明治時代以降に日本で普及した。屋外広告に用いられる場合が多い。のちにガラス質以外の素材も使うようになり、「ホーロー看板」とカタカナ書きされるようになった。
「由美かおるの看板」が現存する可能性が低い理由
さて、「今でも田舎に行けば、懐かしの由美かおるさんに会えるのでしょうか?」という調査依頼をいただいたわけですが、正直に言って、私は「かなり難しい」と予想します。
理由は、二つ。
「昭和レトロブーム」でホーロー看板が高値で取引されるようになった。
由美かおるさんの人気は令和の時代も衰えを知らず、状態がよい看板ならオークションサイトでは数万円で売買されています(吉村調べ)。そんな貴重なお宝ですから、街角に貼られた看板は昭和レトロコレクターやバイヤーによる採集が進み、「野生状態」のものはもう残っていないのでは。
貼られた壁そのものが現存していない。
『懐かしのホーロー看板 広告から見える明治・大正・昭和 』によると、ホーロー看板による企業広告は昭和50年代でほぼ役割を終えたのだそうです。つまり、壁自体が昭和50年代以降に造られたものだった場合、もうそこには存在しないと考えられます。
そんなわけで調査が困難を極めることは明白ですが、調査団の一員として白羽の矢を立てられたからには、ハントしないわけにはいきません。思春期の幕開けを飾ってくれた憧れの美神・由美かおるさん、あなたに会いに行きます。昭和にワープだ!
伝統工芸の街で「由美かおる看板」調査開始!
由美かおる看板発掘調査の舞台に選んだのは、紀州漆器の産地として知られる和歌山県海南市の黒江。この場所に目をつけた理由は、「ホーロー看板の特徴といえば、素材の金属や塗料を守る釉(うわぐすり)。漆塗りの街なら、製造工程が似たホーロー看板も大事にするはず」という、ちょっと強引なもの。加えて「室町時代に始まり、江戸中期に隆盛を極めた歴史ある伝統工芸の街なので、古い壁が残っているのではないか」という、雑な偏見によるものです。
出発地点は、漆塗りの殿堂「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」。館内には漆塗りのバイクなんてブッとんだものがありました。
ヘルメットまで漆塗り! そういえばかつて由美かおるさんは、男性誌の誌面で幾度もバイクにまたがっていました。「よくわからんが、この街ならありそう」と、ヘンな自信が湧いてきます。
当てずっぽうで選んだ黒江ですが、歩いて数分でいきなりのジャイアントインパクトが! それが、錆びたトタン波板に打ちつけられた「ライオン かとりせんこう」のホーロー看板。
ライオンかとり(現:ライオンケミカル)は地元・和歌山の化学工業メーカーです。実は和歌山は蚊取り線香発祥の地であり一大産地。由美かおるのアース製薬の競合他社なので「惜しい」のですが、かなりよい状態で残っています。それだけにレア度も高く、剥がしてゲットしようとしたと思しき形跡があるのが生々しい。
由美さんの看板ではなかったけれど、蚊取り線香のホーロー看板がこの街には現存する。これはかなり期待が持てますよ。
ホーロー看板の多くは区画整理で消滅していた
幸先よいスタートを切った私の前に現れたのが、銘酒「黒牛」で知られる名手酒造店(なてしゅぞうてん)。日本酒の蔵がある街の壁には、銘柄の名前が書かれたホーロー看板も残っているイメージがあります。
「ここだと、ホーロー看板の集積地をご存知ではないか」。そんな都合のいい先入観を抱きながら、名手酒造店の常務取締役・名手佐起枝さんにお話をうかがいました。
吉村 この辺りに御社のホーロー看板が貼られている場所はありますか。
名手 以前はあったのですが、道路の拡張など区画整理で建物自体がなくなっちゃいましてね。現在、弊社のホーロー看板は倉庫にしまってあるんです。
吉村 そうなんですか。ということは、区画整理以前は街にホーロー看板がたくさんあったのでしょうか。
名手 ありましたね。よく見ましたよ。
うぅ、遅かったか。そうだよなあ。だってもう令和だもの。壁がなくなるどころか、時代とともに区画そのものが大きく変わりますよね。街の風景が変わると当然、ホーロー看板の居場所もなくなります。
名手酒造店の店内にあったのは、銘酒「菊御代(きくみよ)」の看板。
壁に貼るのではなく、軒先などにぶら下げるタイプ。ホーロー看板ではないけれど、これもまた時代の証人といえる貴重なお宝。ぜひ店内でのお買い物とともに目の保養にしてください。
結果は残念でしたが、調査のヒントは得られました。看板に限らず、昭和の香りが残るブツが残ってさえいれば、その場所は大規模な再開発がなされていない証。つぶさに「昭和探し」をしていけば、その道の先に由美さんが微笑んでいるに違いない。待ってろよ、ミーコ!
名手酒造店を出ると、そこに屹立していたのは昭和24年(1949)から製造が始まったという鉄製の赤い郵便ポスト。
これがまだ現役で稼働しているとは。彼女のヒット曲に「炎の女」がありますが、このポストの赤色のように、由美かおるに会いたい欲がいっそうメラメラと燃え上がるのでした。
懐かしの昭和遺産に涙ナミダ。しかし肝心の由美かおるには出会えない
名手酒造店から東へ歩いていくと、狙い通り昭和の文化遺産がちらほら見受けられました。たとえば、タイル貼りの元たばこ店。豆タイルのみならず、昭和に流行した「アール」(曲面)の意匠がたまりません。
こちらは美容院「真弓」の看板。この「ALWAYS 三丁目の夕日」チックなたたずまい、おそらく昭和製でしょう。
配色がナイスですね~。ただ、私が探しているのは「かおる」。まゆみ、キミじゃないんだ。すまんな。アバよ!
このように由美さんが現れそうな雰囲気は感じられるものの、肝心の看板には辿りつけないまま。県道9号線へと駒を進めます。
「県道!」という語感のローカルパワーに惹かれてやってきたものの、抜けるような青空と田園風景が広がるばかり。風は頬に心地よけれど「なんもねえな……」。看板が見当たらない。そもそも看板を貼れる壁がない。すると。
あ、あそこに看板がある! 農業用と思しき池のほとりに、錆びた看板が立っていました。防錆効果があるホーロー加工を施していないため、かなり朽ちています。
「私を捨てないで」。確かに、この看板自体が捨てられそう。昭和生まれなのにいまだに美品で売り買いされるホーロー看板って、やっぱり偉大だな。このように自治会の看板は立っているものの、残念ながら広告は見当たりません。
遠くに見えるは「ぬくい鉄工」の文字。「鉄は熱いうちに打て」という格言がありますが、この工場の鉄はぬくいのか。熱いよりぬくいほうが、優しさを感じるよね。
は! いかんいかん! ホーロー看板がなさ過ぎて、いつの間にか頭がVOW物件サーチモードに入ってしまいました。頬をバッシバシ叩いて頭のなかをリセットし、さらに歩きます。
由美さんに出会えぬまま、ひたすら続く真っすぐな道。とはいえ、よぉく目を凝らしていくと、いいダシが出ている昭和物件がぽつぽつ見つかります。大衆食堂の廃墟には、昭和のすりガラスが。昭和40年代前後が生産の全盛期だったという、デザイン板ガラスです。
抽象絵画のようなタッチが時代を感じさせます。
他都市ではほぼ見かけないこの手のアートなデザイン、黒江近辺では頻繁に出合いました。黒江漆器にはガラスを漆塗りする高度な技術もあり、ガラスとの関係も深いのです。もしかすると、和歌山のガラスメーカー製かもしれません。
その後も昭和っぽいロゴが個人的に好みの「喫茶&軽食 mild(マイルド)」など、レトロ風味なものは散見されるも、本丸の由美さんのホーロー看板には出合えず、いたずらに時間が過ぎてゆく。
この時点で4時間は歩いています。昭和生まれのオヤジには厳しい距離と時間経過。探せど探せど、見つからない。「ねえよ。どこにもねえよ!」。そうだよ、いないんだよ、青い鳥なんて。だってもう令和だよ? 由美かおるさんの看板が造られてから50年以上も経ってんすよ? いっそ本人に会いに行ったほうが早いんじゃなかろうか(看板は昭和レトロなのに、本人は若々しいまま現役ってすごくない?)。
出会いはまさかの熊野古道で……!
なんて頭を抱えて弱音を吐き散らかしながらも、海南市から和歌山市へ。市をまたいで、熊野古道へ突入しました。熊野古道というと新宮など、もっと和歌山の南側をイメージしていましたが、和歌山市内も通っていたんですね。なんて長大な巡礼の道。
「平安時代までさかのぼるほど永い歴史をたたえた熊野古道なら、昭和レトロなんてMONGOL800くらい最近の出来事として受け容れられるやろ」と、破綻し尽くした理論でなんとか自分を奮い立たせながら、靴ずれした足を前に進めました。このひなびた道の奥に、由美さんが待っていると信じて。
そうして熊野古道を歩いていると、気になる物体がありました。お家の前に唐突感満載で置かれているピンク色の3段ラック。「なんだこれ」と覗いてみたら、シンプルな青果販売所でした。
ガラスの瓶に100円を入れ、好きな野菜を買い求めるセルフレジシステムです。さすがユネスコ世界遺産にも登録された、神々への参詣道。下手すりゃ3段ラックごと持っていかれかねない世の中にもかかわらず、まるで女神が微笑むかのごとく、性善説に基づいたメカニズムが生きています。
女神が微笑む……。そう、熊野古道に足を踏み入れてからずっと、優しさに包まれているような感覚があったのです。樹々の間から顔を出したのは「鳥獣保護区」を示す赤い看板。やった! ホーローだ!
広告ではなく行政の看板なのでもう一息でしたが、炎の女のごとく赤い看板を見て、「運気が味方をし始めている」「由美さんに近づいている」、そんな予感がしてきたのです。
そうして導かれるように前進していると……ん?
あ、あれは、も、もしや……。
「あったー!」
そこにあるのは、間違いなく探し求めていた由美かおるさんのホーロー看板。鳥獣のみならず看板まで保護されていようとは。しかもアース製薬のホーロー看板の大きな特徴である「水原弘氏の看板とセット」という完璧な状態で現存していたのです。まるで100万年以上前に生きていたマンモスが、永久凍土のなかからほぼ損傷なく発見されたかのように。
蚊もきっと刺さずに見とれたであろうスラリと伸びた美脚。昭和が生んだグッジョブなデザインに、改めて感動。
神々しい輝きを放つ看板の裏手には、熊野の神々をまつった奈久智王子社(なくちおうじしゃ)があります。神様、ありがとうございます。祠に手を合わせ、感謝の気持ちを伝えました。なんだか、ここへ導かれたかのようです。女神はやはり、神々が宿る場所にいたのですね。
「今でも田舎に行けば、懐かしの由美かおるさんに会えるのでしょうか?」というご依頼。およそ10キロを歩いて得た調査結果は、リスペクトの気持ちを抱いてホーローならぬ放浪さえすれば「会える!」。そう回答させていただきます。
さて、所変わってこちらは兵庫県の湯村温泉で撮影された1枚です。
ここは昭和レトロを演出した一画「街角ギャラリー」。観光客に懐かしい雰囲気を味わってもらおうと、空き店舗や既存商店の一部を活用し、湯たんぽやホーロー看板などレトロなものを展示しています。ずらり並んだホーロー看板のなかでも、由美さんは存在感たっぷりです。
今回、由美かおるさんの看板を野良の状態で見つけられたのは極めて幸運でした。流通から50年以上経った現在、同様のケースは非常に貴重と思われます。「どうしても由美かおるに会いたくて仕方ない」という人には、湯村温泉のように昭和タイムトリップを謳う場所、レトロ居酒屋などもおすすめです。昭和のまんまではなく、懐かしさを演出するスパイスとして貼られているのは寂しいけれど、それも時代の流れゆえ。昭和の美の象徴に、ぜひ会いに行ってみてください。
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もともとどこかのグループに所属してましたっけ?
吉村さん、ホーロー看板の写真撮ってきました。近所の電器屋さんの店頭に飾ってありました(^^)
こちらもスマホで撮りました。
>> 神明の花火 さん
ナイス&Good job!!!👍👏👏👏😆吉村智樹さんの文章力が絶妙なので引き込まれて一気読みしてしまいました。
ありがとうございました。大変お疲れさまでした。
長年、同級生に否定されてきたものがあります
私の記憶が間違いなのか…
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日本の広告文化だ!
田舎の古めかしい建物の壁にありましたよね。
面白い企画をありがとうございます。
タイ旅行中ですが、ターペー門とワローロット市場の中間にある日本料理店サムライキッチンにホーロー看板たくさんあります。
良い文章ですね。
看板や広告って、時代を映す鏡ですね。読んでいて、とても面白い記事でした!ありがとうございました。
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#マイネ王9周年おめでとう!
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. #mineo10周年おめでとう!