№943/1994年12月3日発売・SCE・PlayStation・PS・プレイステーション
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№943/1994年12月3日発売・SCE・PlayStation・PS・プレイステーション


「№943/1994年12月3日発売・SCE・PlayStation・PS・プレイステーション」のコメント

追加事項

任天堂米国法人社長だった荒川實が
米のコンピューター業界での
CD-ROMの
躍進ぶりを目の当たりにしており
この契約のままだと任天堂がソニーの
従属的立場になると危機感を抱き
任天堂社長であった
山内溥にソニーとの提携を止めるように
口説いたとされている。

久夛良木は仕事で使う
コンピュータを
「ワークステーション」と
呼ぶことに対して
遊びで使うコンピュータという
意味で「プレイステーション」に
決めた。発売日の
1994年12月3日は、大安吉日だった。

盛田昭夫は、
これはおもしろい
ゲーム機になる、と言い。
社内では、最初はプレステと
(PS・ピーエス・)
言っていたが、盛田昭夫は
盛田昭夫がプレステの
「ステ」が「捨て」に通じることから
避けさせたという。
「プレステと呼ぶなー」という
新聞広告を出したこともある。

また、サードパーティ社には
幅広くサードパーティーを
招き入れようと
150万円という安価で開発機材を提供。
1994年夏には契約した
サードパーティは200社を越えた。
ゲームソフト価格に関しても
CD-ROM採用によるソフト生産の
コストダウン、生産スピードの向上と
短期大量出荷、ロイヤリティの削減
などを行い、5800円からと低価格化させ
ソフト購入のハードルを大幅に
下げるなどした。最終的に
3,289タイトルになった。
完売品でも4日には入荷する
ようにした。(目標の意味)

ローンチタイトルとして
『リッジレーサー』を発売し普及を
牽引するキラーソフトとなった。
前評判あるいは口コミによって
「リッジレーサー」の人気が広まり
従来のコンシューマ機とは比べ物に
ならないほどの完成度が
新ハードにユーザーを
惹きつける功績となった。
その後ソフトに恵まれていく。

ハード面では、
任天堂スーパーファミコンが
全世界出荷台数4,910万台で
プレイステーションでは
1億240万台の出荷を記録した。

初代39800円~29800円~
24800円~19800円~
15000円にPS oneで9980円
値下げは、仕様変更で
使用しない機能を減らし
1チップ化となる。