【阪神淡路大震災30年/プレゼントあり】「災害支援タンク」の利用体験ができる防災訓練を実施します

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きぃ。さんのコメント
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30年前、まだ子供の頃、兵庫県は尼崎の古い建物が多い町に住んでおり、被災しました。震度6の揺れで壊滅した街は真の暗闇で、半壊する木造家屋から命からがら着の身着のままで家族で逃げ出した外は『真の暗闇』で街灯も消えていて。街灯が当たり前にあるから、人は夜に外を歩けるのだとその時に知りました。
あの時はスマホもなく携帯を持つのもまだ一部の人で、硬貨をたくさん握りしめ親族へ安否の電話をかけるために公衆電話へ走りました。公衆電話を独り占めする訳にもいかず、一回かけてまた次を待ってる人と代わって最後尾へ並び…順番を待って、順番が来たらまた掛けてを繰り返して。
30年経った今は子を持つ親の立場になり、子供にはしっかり充電したキッズ携帯を毎日必ず持たせています。
携帯は災害時は一般電話より優先されますし、
家にいる時か離れている時か、いつどこで地震にあうかはわからないので、まずは家族お互いの安否が分からないのが一番怖いので、1番の防災グッズがスマホとキッズ携帯です。
自宅にはポータブル電源がまだ出始めの頃に買ったものがあります。今の機種と比べると古いのですが、寝室の枕元にいつも置いています。
スマホの充電を維持できないと給水等の地域情報にもありつけないので、スマホを持つことに加えて、電源管理も防災の内ですよね。
願わくばポータブル電源がずっと活躍しないような、変わり映えのしない平和な日常が続いて欲しい、そういつも祈っています。