【阪神淡路大震災30年/プレゼントあり】「災害支援タンク」の利用体験ができる防災訓練を実施します

〜 本文は省略されました 〜
masa345さんのコメント
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私は当時宝塚に住んでいました。大きな縦揺れと音に目覚め、慌てて電気を点けようと立ち上がりましたが、まともに歩くことができず、何が起こったのか理解できず膝をついて動きながらテレビで情報を見ようとしました。当然テレビもつかず。揺れが収まっても体がガタガタ震えていました。しばらくは動くこともできず。やっと落ち着いてきたのでパジャマのまま駐車場に行き車に乗りラジオを付けました。まだ詳しい情報はなく大きな地震があったとの情報だけでした。その後、電気の復旧は早かったですが、水道とガスはなかなか復旧せず。水道が先に復旧したけどガスが無く風呂に入れず、寒いなかタオルを水で濡らして体を拭いていました。ガスの復旧には2ヶ月くらいかかりました。その後はお風呂の水はトイレの排水にも使えるので絶対に残しています。それとお湯が使えず困ったのでカセットコンロを購入しました。しかしそれ以来震度1の地震でもあのときの恐怖で体が震えます。あの頃私が言われて嫌だった言葉は「頑張って」でした。言われなくても被災地の人は精一杯頑張っています。これ以上何を頑張れと?と思いました。なんか横道にそれてしまいましたが、地震に対する思いがあふれてしまいました。
現在は防災袋にラジオ、水、充電器、ゴミ袋、携帯トイレ、懐中電灯などを入れておいています。しかしこれを使う日が来ないことを祈っています。長文失礼いたしました。