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かつて存在した「携帯キャリア・ブランド」の“おもかげ”を探す旅

かつて存在した「携帯キャリア・ブランド」の“おもかげ”を探す旅

辰井裕紀
ライター: 辰井裕紀
ローカルネタ・ガジェット・卓球が好きなライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。

1987年に始まった携帯電話のサービス。その32年の歴史の中には、いまはもう存在しない携帯電話のキャリア・ブランドがあります。

J-PHONE、ツーカー、IDO、アステル……。もはや名前を聞くだけで郷愁がこみ上げてきます。

実はそれらのおもかげは、いまも街の片隅で見つけることができます。今回は、そんな思い出のかけらを探す旅に出ましょう。


携帯ショップの廃屋に残された看板(亀有)

JR亀有駅に着きました。

▲上機嫌で出迎えてくれる両さん像

漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台でも知られるこの街。しかし、会いに行くのは両さんではなく、過去の携帯キャリアのおもかげです。

それは、駅北口からわずか1分のところにありました。

かつて営業していた携帯電話ショップ。いまは廃屋となっています。

店内はもぬけの殻ですが、看板を見ると、いまでは決して見られなくなったロゴがたくさんあります。

J-PHONE、TU-KA(ツーカー)、H”(エッジ)……なつかしい。このラインアップが当たり前だった時代もあったのです。

ちなみにauのロゴは2003年9月まで使われていた初代のもので、NTTドコモも2008年6月まで使われていたもの。

よく見ると、J-PHONE以外のロゴは劣化が激しいですね。もしかして、似せて手描きされたもの……?

「ツーカー」は、東京、関西、東海の3都市圏を中心に1994年にサービスを開始。

プリペイド携帯「プリティ」「プリケー」や、初の骨伝導携帯「TS41」、液晶なしの通話専用携帯「ツーカーS」などのユニークな機種展開も見られました。

▲1997年製、富士通のTH-671(Photo by Marus
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:TH-671_d.jpg


浜崎あゆみさんや松本人志さんらのCMでも知られ、ピーク時は約400万もの契約数を数えましたが、KDDIに吸収合併されてほどなく新規受付を終了。2008年3月末で停波となりました。停波直前の加入者数は、わずか27万6600人になっていたそうです。


「J-PHONE」のマンホールと基地局(北戸田→竹ノ塚)

次にやってきたのはJR北戸田駅。ここから歩いて10分ほどの工業地帯に、それはあります。

交差点で、ふと下を見ると……

そう、J-PHONEのマンホールです。

J-PHONEは1997年からブランド名として使用され、ボーダフォンに買収されて2003年に全面移行するまで存在しました。ちなみに名前は「軽やかで快い語感の響き」を意識して付けられたとか。

▲カメラ付き携帯電話の先駆け、J-SH04。レンズの右に自撮り用の鏡が付いていた(Photo by Morio
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sharp_J-SH04_CP%2B_2011.jpg


ちなみに「写メール(通称:写メ)」を広めたのもJ-PHONE。そんな写メも現在では、若者に通じない死語になりつつあります。時代を感じますね。

続いてやってきたのは、東武線竹ノ塚駅。この先にも貴重なJ-PHONEの遺産があります。

ここはかつて、J-PHONEの基地局でした。そのためあちこちに、その名残があります。

▲平成13年(2001年)は、256色カラー液晶や16和音の着メロの機種が市場に出回っていたころ



いたるところに、「J-フォン」の名前がありました。

藤原紀香さんが出演していたJ-PHONEのCMシリーズを思い出しながら、この場を後にしました。


「東京デジタルホン」の鉄塔(二俣川)

20代以下でご存じの方は少ないと思いますが、ソフトバンクの前身はボーダフォン、そしてボーダフォンの前身がJ-PHONEです。

そしてさらにJ-PHONEにも、前身の会社やサービス名があります。その名残を見に、横浜市旭区にある基地局へやってきました。

鉄塔の下に「株式会社 東京デジタルホン」とありました。デジタルホンは1994年からサービスを開始した携帯電話キャリアです。しかし1997年から順次、呼び名がJ-PHONEへ移行し、社名も1999年10月にJ-フォンになることで消滅しました。

さらには、「J-フォン東日本(株)」の文字も。デジタルホン終了後、J-PHONEの基地局としても使われていたことがわかります。


「DDI」のマンホール(八王子)

次は八王子の郊外へ。道すがら、あるものを偶然見つけました。

そう、KDDIの前身「DDI」(第二電電)のマンホールです。

DDIの発足は1984年、NTT(日本電信電話会社)の発足が1985年です。NTTよりも先にできた会社なんですね。

このDDIと京セラなどが株主となって「DDIセルラー」が設立され、1989年に関西セルラー電話が事業を開始したのを皮切りに、1992年までに全国展開。関東甲信、東海地方については、日本移動通信(IDO)とのローミング【※1】によってカバーしていました。
※1 契約中の通信事業者のサービスを、サービスエリア外でも、契約していないほかの通信事業者の設備を使って受けられるようにすること

▲IDOとDDIセルラーが出していたフォトパレット。携帯電話に接続すると、PC向けのサイトが見られた(Photo by Gpulapula
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:IDO_PhotoPalette_20110826.jpg


しかし2000年にKDD、IDOと合併してKDDIとなり、消滅しました。近くにはKDDIの東京第三ネットワークセンターがあり、おそらくここに関係しているのでしょう。


「DDIポケット」の基地局(八王子)

八王子でもう一つ、当時をしのばせるものが見つかりました。

NTTドコモの大きなアンテナの下にある、小さなアンテナ。その正体は……

DDIポケットのロゴが入った基地局でした。

DDIポケットは1995年にPHSサービスを開始し、安価な料金体系と定額制パケットデータ通信サービスやフルブラウザ端末の導入などで、携帯ライトユーザーから先進的なネットユーザーにまで愛されました。

▲フルブラウザが使える「京ぽん」シリーズはヒット作に(筆者私物)

しかし2005年、ウィルコムへの社名変更に伴い消滅しました。なおこのアンテナは、DDIポケットがあった時代に作られたと思われます。

DDIポケットからの流れをくむ、日本で最後に残されたワイモバイルによるPHSサービスも、すでに新規受付は終了。一般向けサービスは2020年7月末をもって終了します。

ちなみに近くには、ウィルコムのロゴがついた基地局もありました。なおウィルコムも2014年にイーアクセスに吸収合併され、消滅しています。

▲ウィルコム時代のスマッシュヒット商品、W-ZERO3(筆者私物)


「IDO」の名札(大久保→東戸塚)

JR大久保駅近くの雑居ビル。こちらにも、かつての携帯キャリアの名残があります。

ビルのテナント表示の地下1階のところに「日本移動通信株式会社」(IDO)の名前があります。IDOは1987年に設立、1988年に携帯電話サービス開始。DDIセルラーグループと提携し、ローミングを行っていました。

▲IDOのD306(1995年製、京セラ)。オリジナル着信音作成機能を搭載

なお、IDOは2000年にDDI、KDDと合併し、KDDIになりました。当たり前ですが、残っているのは名札のみで、現在は1階の薬局の倉庫として使われている模様。

▲中を見ると段ボールが積んであった

薬局の方に話を聞くと、「前のテナントなのでくわしくは知らないが、サーバーがたくさんあったらしい」とのことでした。

さらに、IDOのおもかげは横浜市の保土ケ谷にもあります。

現在はKDDIの鉄塔になっているようですが、「日本移動通信株式会社 保土ケ谷局通信鉄塔」との表示が今でもあります。

ちなみにここは、かつてツーカーセルラーの基地局としても使われました。そのおもかげを確認したかったのですが、隣に家が新築されている関係で撮影ポイントまで行けませんでした。

さらに、いまでは非常に希少な「IDO」の看板が見られると知り、向かったのは西東京市にある自動車屋さん・東京モータース。しかしタッチの差で取り外されてしまったようです。

▲2018年7月時点のGoogleストリートビューでは、看板が確認できる

▲残念ながら「IDO」の看板は取り外されていた

▲東京モータース店主(右)と一緒に記念撮影

なぜ自動車屋さんに看板があったのか。店主に聞いたところ、「IDOはもともと自動車電話としても使われていたから」だそう。当時は、フェラーリやベンツなどの高級車に乗れるほどのドライバーじゃないと、付けられない高級品だったのだとか。


探すのに苦労した「アステル」の基地局(八王子→両国→与野)

さあここで、マイネ王の運営会社・オプテージがかつて展開していたPHSサービス、「アステル」の登場です。

1997年、業界に先駆けて着メロのダウンロードサービスを始め、着メロ時代を推進した立役者。ちなみに「着メロ」の商標権を持っていたのは、アステル東京でした。

同年、アステルグループはFMラジオが聞ける機種「AT-15(東芝)」も発売。その後、業界に先駆けて「定額データ通信」も導入しています。

さらに、女優・松坂慶子の声を元にした合成音による天気情報サービス「ハロー天気」なんてものもありました。

このアステルの旧基地局も撤去が進んでおり、情報を頼りにいろいろ巡りましたが、多くが撤去されていました。

▲八王子の堀之内に残存したアステル基地局は撤去されていた

▲両国駅近くに残っていたものも撤去済みだった

なかなか見つからないなか、アステル基地局がいまだ撤去されていない場所をようやく発見しました。JR与野駅の改札前のところです。

あった!!

アステルの基地局が、屋根の上にこっそりとありました。あちこちを歩き回ってようやく見つけられました。感慨深い……。

このアステルですが、2006年12月にアステル東北のサービス終了とともに姿を消しました。2006年10月末時点、最後のユーザー数は13800人程度だったとのこと。


旅を終えて

携帯電話サービスが群雄割拠し、何かワクワクしたあの時代。それはまだ人々の目に付かない街の片隅で、ひそかに姿をとどめていました。

旅の道すがら、当時のロゴを見つけるたびに、はじめてケータイを持ったときのうれしい気持ちがよみがえってきました。それは、現代の中高生が生まれて初めてスマホを持つときのトキメキと、同じだったのかもしれません。

(編集:ノオト




110 件のコメント
1 - 10 / 110
そういえば昔mineoなんてのがあったな、と言われないよう頑張ってくださいね。
関東、中京、関西の以外の地方は、ツーカーとデジタルホンが一緒になって、「(地域名。たとえば九州とか)デジタルツーカー」というブランドが展開されてたんだけどな。それがJ-PHONEとして、全国統一ブランドに。
凄いね。懐かしすぎて涙が出そうになったよ
NTTパーソナルも、、、(私の移動通信はそこから始まった)

IMG_20190823_114619.jpg

この間掃除してたら出てきました、最新のスマホに付けて使ってます。
関西デジタルホンを使っていました。
液晶モニターはもちろんシロクロです。ハイ。
「ネアンデジタール人」ってキャラクターがありました。
J-poneまでは継続していましたが
それからNTTドコモでi-モードフォンが出て乗り換え
今のドコモガラケーに至ります。
この頃の携帯電話が一番楽しかったな…
やっぱりツーカーホン関西のハリソン君が懐かしい
ハリソン君、ツーカーや
J-PHONEのロゴが新しいのは、関東(東海など)デジタルホンから書き換えたためだと思います。
洋菓子モギーさん・・・(´・ω・`)
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