~fioの旅~ the beautiful world? 【画像多め】【内容薄め】【不定期更新】
お家大好き引籠りのfioが、数少ない友人からの、半ば強引な誘いを断り切れずに外の世界と触れ合い、引籠りを脱却するまでの成長?物語です。
不定期に下手な写真と拙い説明を更新していきます。
お時間が有りましたらお付き合いくださいませ。
もし、ここを見て「行ってみたよ!」なんて報告とか貰えたら幸せ感じちゃいます。(笑)
それでは2017年fioの夏旅の始まりです。
勇者ヨシヒコが魔王ゲルゾーマと対決した場所への聖地巡りとして(笑)
(勇者ヨシヒコをご存じ無い方はコチラ)
http://www.tv-tokyo.co.jp/yoshihiko/
栃木県宇都宮市に有る、大谷資料館へ行ってきました。
http://www.oya909.co.jp/
外は30度超えの真夏日に、内部の気温は13度!
涼みに行くつもりがちょっと寒いくらいでした。
時折天井から冷たい水滴が首筋を襲います。
機械化される前は1本の石柱を切り出すのに4千回もツルハシを振るっていたとか…
昔の人の根気強さには頭が下がります。
中はライトアップされているものの、基本的に光量不足でスマホで写真撮っても真っ暗です。☝の画像はPCで目いっぱい明るく加工してます。
写真撮りたい人は三脚とバルブ開放できるカメラのご用意を。
大谷資料館の近くにある、その名も大谷寺(大谷観音)。
http://www.ooyaji.jp/
平安時代(810年)に弘法大使の作という奇岩の岸壁に掘られた千手観音が祀られています。
他説ではシルクロードの石仏と共通点が多いのでアフガンの僧侶の作という説も…
国の指定重要文化財という事ですが、上の巨大な岩の造形の方が気になります。
併設の宝物館にはここから発掘された縄文人の人骨が…
竜門の滝というと、大分のものが有名ですが、こちらは那珂川の支流江川に在る、竜門の滝、その幅は65m、高さは20mもあり大きいです。JR烏山線の滝駅という凄く小さな可愛い駅から5分程の場所で、1時間に1回滝の上を電車が通ります。
下の中州まで降りて遊べますが、滝へと降りる道が滝のしぶきでぬかるんでドロドロなので転ばない様注意が必要です。
遊歩道にはベンチも有って、木陰を涼やかな風が通り抜けて心地よいです。
ここは茨城県北部の大子町に在る月待の滝です。
http://www.daigo-kanko.jp/?page_id=2861
最近Jinponさんが跳び下り...じゃなくてバンジージャンプをした竜神峡からそう遠くない場所ですね。
滝の岩の下の窪みまで歩いて行けて、滝を裏側から見れるので、別名「裏見の滝」とも言うそう。なんだか怖そう?ですが、物凄い量のマイナスイオンがでています。
ちなみに、裏側からの雰囲気はこんな感じです。
滝の横のもみじ苑では天然氷の巨大かき氷を頂けます。
そして、ヒミツのお得情報です。
売店のお兄さんにお願いすると、無料で練乳マシマシで作ってくれます(笑)
月待の滝から日立へ向かう山間の道は、そこかしこに大小の赤い鳥居が有って、山の彼方此方に神様が居る様です。神様と言っても色々ですから、この数の多さはちょっと怖いただならぬ感じがします。
ここは茨城県日立に在る御岩神社の楼門。
http://www.oiwajinja.jp/index.html
現世と神域を分かつ門。
入る時と出る時にお辞儀をしないと魂を置いてきてしまうとか。
信じるか信じないかはあなた次第です。
冗談はさておき、楼門をくぐって少し行くと、宇宙飛行士が地上から光が伸びているのが見えたというGPS測位の場所に立つ三本杉は高さ50m以上の巨木です。参道の森の木は全てこの様な巨木で、自分が小人になったような?或いは巨大な神々の世界に迷い込んだ様な不思議な感覚に包まれます。
流石は「天地開闢の時より神々がこの地に鎮まる」と言われるパワースポットです。縄文時代の祭祀跡が発掘されていると言うから、精霊信仰の頃より何かが有るのでしょう。
三本杉を過ぎて、登っていくと、ほどなく天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などと祀っている斎神社に着きます。ここの天井には見事な龍の天井画が有ります。この神社の横には石柱に木の車輪がはめられた物が有り、上へ回しながら祈ると現世での願いが、下へ回しながら祈ると後世での願いが叶うそうです。
何をお願いしたかはヒミツです(笑)
ちなみに記念にと思いひいた「水引の花お御籤」では愛情の花(心)を引き当てました。それによると「愛情に恵まれ、良い縁をもたらします」と有りました!
キターーーーーー!!!
でもね、個別の「縁談」のとこには「気長に待ちましょう、
良い話が来ることでしょう」ですって…
私の運命の相手はどこに??(笑)
それではみなさん、また次回お会いしましょう。












館山城から車で5分ほどの場所に赤山地下壕という、戦時中の遺跡が残っています。なんとgoogleストリートビューて地下壕内部を探索できます。
👇
https://goo.gl/maps/q798XwLpW61LD5ba6
子供の頃住んでいた場所の近くの山に、防空壕跡と言われる横穴が有り、小学生か幼稚園の頃に近所の子供達で探検に行き、外から懐中電灯で照らすと、闇の中から地面を埋め尽くすほどの竈馬がぴょんぴょんと灯りに向かって一斉に向かってきたのがトラウマで、地下壕見学は車窓観光です。😅

掩体壕って知っていますか?戦時中、飛行機を隠した場所だそうです。
入口も飛行機の形をしています。
赤山地下壕のすぐそばなのですが、飛行機を隠した場所なので見つけ難いです。
google先生に、「近くの掩体壕」と言ったらナビして貰えました。
座標的にはcafeの路を挟んだ反対側辺りです。
当時9ヶ所ほどあったらしいのですが現存するのはコレ1つと言うことで貴重な遺跡?です。

せっかくなので、今放送中のアニメ、戦翼のシグルドリーヴァの聖地巡礼ということで、自衛隊館山駐屯地へ。守衛さんの許可を貰ってゲートをパシャリ。
第21航空群はヘリコプター部隊で、救難活動等を行なっているとか。

fioが訪れた前日に、声優さん達が来たらしく、丁度ゲート前の掲示板に掲出されたばかりのサイン入りキービジュポスターを見ることが出来ました。未だ情報が出ていない時だったらしく?他に誰も来てなくてゆっくり撮影することができました(^^)

聖地巡礼も終えて満足したfioは館山をあとに帰路へ着いたのですが、北条海岸沿いの道を走っていたら、大きな夕陽があまりに美しかったので、急遽車を駐車場に止めて、陽が落ちるまでの数分、夢中でシャッターを切ったのでした。この辺りは日本の夕陽百選に選ばれていて、富士山のシルエットを見事な夕陽を見ることが出来ます。
今度は一眼を持って撮影に行ってみたいです。
これで2020年fioの秋の巡礼の旅は終わりです。次は何処へ行くのでしょうか?

二年の沈黙を破り、2022年秋fio の秋旅ここに開幕です。しかもfioの旅初の飛行機です!
出発の朝は小雨のぱらつく天気だったのですが、空の上はいつも晴れ♪
雲海から登る朝日と、ミニチュアの様な下界の景色に、子供の様に窓にへばりついていたらあっという間に目的地に着いてしまいました。

空港で迎えに来てくれた大学時代の友人と合流して向かった岩国駅は、JRと錦川鉄道が乗り入れていて、そこには現役のキハ40が多く稼働しています。カリカリと言うか、チリチリと言う様なエンジンの音を立てて止まっているキハを写真におさめると、急いで反対側の列車へ乗り込みます。
今日の目的は宮島観光なのです。

宮島口駅迄は岩国から電車で20分程。慣れない土地での旅は長く感じますが広島からより近いかも?宮島口から宮島へ渡るフェリーは2社が運航していますが、JRフェリーだと大鳥居前を回る航路をとってくれるので右舷デッキから👆の様な写真を撮ることができるのです。
今年は70年に一度の大鳥居の大修理をやっていて、9月迄は大鳥居全体が足場とネットに覆われてその姿を見る事ができなかったのですが、ライブカメラを見ていたらfioの出発数日前に足場とネットが外されて、修繕されピカピカになった大鳥居がfioを歓迎してくれた?のでした。
さらに、この日は厳島神社の菊花祭で舞楽の奉納が有るとの事で五色の幕も掛けられた美麗なお社を見る事ができました。

上陸して浜辺沿いに進んでいくと千畳閣の下に立派な石の鳥居と狛犬が出現します。この狛犬ポイントから浜辺の方を見やると、2人の船頭さんが浜に立っていて、ろかい舟で大鳥居へ連れて行ってくれます。
料金は1人千円で所要時間は20分。但し、満潮時のみの運行で、尚且つ不定期運行なので乗ってみたい人は👇のサイトで運行予定の確認をおススメ。
http://yu-ran.com/rokaipage.html
本来は海から大鳥居を通って参拝するのが正式ルートだそう。
波と風の音だけの静かな舟にゆられていると、心もスゥ~っと澄んでいくようです。

今回は大鳥居修復用の桟橋の足場の解体が済んでいなかった為、残念ながら舟で大鳥居をくぐる事はできなかったのですが、22mmの広角レンズで、船から背中を外に出しながらギリギリファインダーに収めることができました。舟が大鳥居をくぐれていたら、シャッターを切る前に通過してしまっていたかもしれなかったのでこれはこれでオッケーです。
因みに大鳥居の上に掛けられた額の文字、海側からは「厳嶋神社」お社側からは「伊都岐島神社」となっています。
これは、元々の…というか本当の主祭神が”伊都岐島大明神”という神様である為というコトらしいのですが、公式サイト👇でも主祭神は宗像三女神となっていてどういうコトなのか?fioにもよくわかりません。
http://www.itsukushimajinja.jp/history.html

実は、ご先祖は清和源氏の流れを汲むらしいfio。厳島神社はずっと平家ゆかりの神社なので行っちゃダメと思っていたのですが、どうやら清盛が「お社を直てくれたら出世させてあげる」とのご神託を受けて建て直したというだけで、戦国時代は源氏の世も足利氏や毛利氏など武家の崇拝を受けていたらしいのと、祭神が何故か?九州で多く信仰を集める宗像三女神だったので良い事にしました。
やっぱり海に浮かぶお社は特別感が有るので行ってみたいじゃないですか(笑)

ろかい舟が岸に戻って、いよいよ本殿参拝なのですが、厳島神社の参拝順路は一方通行なので、先に”千畳閣”を見学します。この千畳閣(豊国神社)は、秀吉が戦没者供養の為に建設した857畳の広さの神社なのですが、秀吉が建設中に亡くなった為、建物は未完成のままとなっています。
その後、豊臣秀吉と加藤清正が祭神として祀られているのも他に類を見ない珍しい神社といえます。

この日は太陽が照り付けてかなり暑かったのですが、千畳閣の中は風が通り抜けてとても涼しく気持ちが良かったです。とても広いのでどっちへ進んで行くか迷ってしまうのですが、海の方を見やると、ちょうどフェリーが宮島口へ戻っていくところでした。
雰囲気、ちょっと伝わったでしょうか?

千畳閣を後にし、いよいよ厳島神社本殿参拝です。今年は修学旅行も解禁され、高校生たちが青春してました。
fioはおみくじを引いてみると四十番。
「なんで四かなぁ」と思いつおみくじをとって見るとなんと「大吉」
内容はこちら👇
https://nanikatotameninaru.com/1560.html
なんでも叶うものすごく良い内容でした。
「上は国を治め~」って書いてあるから総理大臣めざせるかも?
あ、写真は本殿終盤の”反橋”。天皇の勅使が渡ったそうです。

参拝を終えると丁度お昼時だったので、1902年創業のふじたやで名物穴子飯でお昼ご飯です。https://www.fujitaya-miyajima.com/
HPには2500円って書いてあったのに3000円でした…
お味はうな重にくらべると随分さっぱりしていましたが、しつこくなくて美味しかったです。ちょっとだけお酒も頂いちゃいました。

神社にお参りすると、奥宮もお詣りしたいfioは弥山へ上る事に。もちろん登山大嫌いのfioはケーブルカーで山頂へ、ケーブルカー乗り場迄は無料バスを利用します(笑)
無料バス乗り場には既に結構な人が列を作っていてfioと友達は定員ギリギリくらいの順番でした。
バスの待ち時間と、ケーブルカー駅までの徒歩時間がほぼ同じだったので、fioより後に来た人達は歩いて行くようでした。
が、バスが動き出してすぐにfioは「バスでよかった~」と思ったのでした。
バス乗り場を出てカーブを曲がると、ちょっとなかなか出会うコトの無い様な急勾配の長い坂が現れたのです!
バスを降りてケーブルカー駅迄の50m程も激坂でふぅふぅ言いながら登ったのでした。
山頂駅を降りてから、奥宮までは事前の調べで片道30分往復1時間だったので、「まぁ、大したことないでしょう」と思っていたfio。
歩き出してすぐに、それが間違いだったことに気付きます。
でも景色は👆の様にとっても素晴らしいのです。
でも、大鳥居の写真と比べてかなり高度が有る事が解って頂けるかとおもいます。

奥宮への道の8割程の場所にある”大聖院”。弘法大師が大同元年(806年)に焚いてから一度も消えていないという”きえずの火”。広島の平和記念公園の平和の灯の元火にもなったそう。
それにしても、全国各地で見かける弘法大師の足跡。
なんでこうも大変な場所ばかり…
もうちょっと行き易い場所を選んでくれたらいいのに…と思わずにいられないfioなのでした。

地図の読めないfio は大聖院のお坊さん?に道を尋ね、更に山を登ります。途中こんな大岩や

こんな大岩をくぐり抜け、段々と宗像の巨石信仰に近付いて来た事を感じながら進みます。
途中、岩の上に安置された千手観音に、旅の安全をお祈りして更に登ります。
ふぅふう言いながらようやく辿り着いた弥山山頂展望台。前出のケーブルカー山頂駅からの眺望と比べると、かなり登って来た事がわかります。
本当は夕方に金色に染まる瀬戸内を撮りたかったのですが、帰りのケーブルカーの最終が16時半なので、陽の落ちて暗くなった山道を徒歩で下山しなければならなくなるので諦めます。

地図と実際の風景を見比べても山頂展望台から奥宮への道が解らないfioは展望台のおじちゃんに道を教えてもらい、「道は有るけど人は居ない」山路を駆け下り駆け上り進みます。途中、ドラゴンの頭骨?みたいな何か👆や

こんな山奥にあるのに、海の満ち引きで水が溢れたり干上がったりする謎の石に出会ったりしながら進みます。
「もう歩けないよ~」ってくらい息が上がって、脚もフラフラになった頃、ようやく奥宮に到着。宗像三女神の三つのお社が並んだ小さな奥宮にて、旅の安全と家族や有人の健康を祈願して後にしました。
この時点で時刻は既に16時、ケーブルカー山頂駅迄30分で戻らないと終電?に間に合いません!
山頂で取り残されては大変!と、登山とかハイキングとかではないハイペースで戻ったのでした。💦

無事下山して、戻る道すがら夕暮れの大鳥居を写そうとカメラを構えて、「前の人達早くはけて~」と思っていたら、人がはけて、鹿が入ってきました(笑)
もみじ饅頭を食べながら景色を見ていると、潮が引いて浅くなった海を立派な角をもつ牡鹿が渡ってくるではありませんか!最後の最後に良い絵が撮れて大満足のfioなのでした。
夜は、広島風お好み焼きを、焼きそばVerと焼きうどんVerをで頂いて、お腹も大満足でした。
呉編につづく

2日目、早朝から電車に乗って呉にやってきました。以前、広島や四国の友人たちがこぞって「大和ミュージアムは一度は見に行った方がいい」って言っていたので、いつか広島方面へ行くことが有ったら行こうと思っていたのでした。
前日の登山でパンパンの脚を引きずりながら呉駅から連絡通路を歩く事10分。
ミュージアム前には戦艦陸奥の主砲の方針やスクリュー、舵や碇等が並べられ、奥には「てつのくじら潜水艦博物館?」が有り、色々大きくて、感覚がバグります。

海神だから?大和ミュージアムの門前には何故か大きなポセイドン像が立っています。トライデントとか筋肉ほか、色々大きくて立派です。
(〃´∪`〃)ゞ

1階でエントランスを通ると直ぐに、巨大な戦艦ヤマトの模型が目に入ります。ミュージアムの解説アプリ、折角用意して行ったのですが、iOS版の不具合で機能しなくて残念でした。
戦艦大和って、何故か後ろ姿の方が様になると思うのはfioだけでしょうか?
ピカピカだからか?宙に浮いているからか?写真に収めると急にプラモ感が強くなってしまうのがなんとも残念です。
展示室には、大和の他の戦艦の1m以上有る模型が複数展示されていて、なんというか「威風堂々?」とした姿に、当時これらの船を見た国民たちはきっと誇らしい気持ちだっただろうと思いました。
それだけに戦時中、軍事機密として多くの国民が大和を知らなかったというのはなんとも残念な気持ちにさせられます。
一方で、海戦や呉軍港と帝国海軍終焉のビデオを見ていた時はなんだか当時の人の思いが流れ込んでくる様で、とても胸が苦しくなって涙を堪えることができませんでした。

館内には魚雷とか特殊潜航艇とかの展示も有ったのですが、中でも目をひいたのが零銭です。エンジン不調で琵琶湖に不時着したものが戦後引き上げられたもので、62型という、大きな爆弾を付けられる様に改装したものだそうです。
実は前日、岩国でM6A7駐車場というのを見ていて、「変な名前」って思っていたのですが、思いがけず呉でその謎が解けました。
駐車場の名前はゼロ戦の型式M6A7が由来だったのです。
オーナーはミリオタ確定ですw

この零戦の展示室は回廊が2階3階と続いていて、上からも眺める事が出来ます。操縦席を覗き込む事ができたので、これは珍しいに違いないと、スマホを落とさないかドキドキしながらシャッターを押したのでした。
飛行機の操縦席って言うと、旅客機のものは写真を観た事が有りますが、零戦のそれは随分シンプルで簡単そう。
これなら練習したらfioでも運転できるかも?

大和ミュージアムで2時間近く過ぎてしまいました。お昼前に混雑を避けて早めのランチにしました。
お隣の「てつくじ」で潜水艦カレー🍛をいただきます。1000円也。
お店のスタッフさんの潜水艦そうりゅうTシャツがカッコよくて、ちょっと欲しくなりましたが、帰ったら絶対着ないよねと衝動買いを抑えた私、お利口さんw

「てつのくじら博物館」では、戦後の機雷除去の歴史を学んだのですが、もう海に出れば機雷に中る!というくらいの敷設数にビックリ!戦争ってあらゆる意味でイカレてると思います。
退役艦とはいえ、本物の潜水艦の発令所見学と潜望鏡を覗く体験ができ、人1人が通れる狭い通路や、何がなんだかわからない沢山の計器類、本物のリアルさと体験がるのに無料なんて!
内部撮影が禁止なのが残念ではありますが、呉に行ったら是非見学をおススメします。
”てつくじ”を後にして、大和ミュージアムの外の広場から呉港を臨みます。
じつはこの広場は戦艦大和の前甲板を模して造られていてその大きさを体感できる仕掛けになっているのです。
fioは筋肉痛で重い脚を引きずりながら、なんとか突端まで辿り着き、戦艦大和の艦首から軍港を眺める乗組員気分を味わいました。
この波型の切れ込み、大和の艦首部分の再現なんですよ!
あ、そう言えば、JR呉駅の発車チャイムの音楽は”宇宙戦艦ヤマト”の曲でしたっけ。

次の目的地は戦艦大和建造ドックを見に行くコトで、調べでは徒歩15分との事だったのですが、もう歩けない程疲弊していたfioはタクシーで移動する事にします。移動を開始すると、結構な勾配の長い長い坂を登らなければいけなかったので、タクシー乗って大正解でした!
着いたばしょは歴史の見える丘公園。
大和艦橋を模した慰霊碑と実物大の砲弾を見ることができます。

歴史の見える丘公園から延びる歩道橋を渡ると、現JMUのかつて戦艦大和を建造したドックとその大屋根(写真左端)を見ることが出来ます。そして、今回幸運な事に空母改装中のDDH184護衛艦かが(写真右端)を見ることができました。
単純に甲板を四角にするだけと思っていたのですが、スクリューや機銃なども外されて、何やら大規模な改装をしている様でした。

歴史の見える丘公園を後にして、坂を降りて少し行くと、「旧呉鎮守府司令長官官舎」が有り、現在は「入船山記念館」として見学する事ができます。右手に見える時計塔は1921年に旧呉海軍工廠造機部の屋上に設置されたもので、現在も動いている電動親子式衝動時計としては国産で最古のものらしいです。
時計塔の奥には砲台と弾薬庫等が残されていて見学することができます。
官舎の中の様子は👇をごらんください。
https://king.mineo.jp/photographies/1706

呉市では大和柄のカラーマンホール全10種があり、マンホールカードというのが配布されています。https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/52871.pdf
入船山記念館の前の坂道で8種類を見ることができ、入船山記念館でマンホールカードを貰えるのですが、既に疲労困憊のfioはここまで行きつつもカードを貰うのを忘れてしまったのでした!
しまった~

鎮守府司令長官官舎から港に戻り、高速船に乗り込んで海軍ゆかりの江田島へ渡ります。所要時間は舟で10分程。目的は海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)の見学です。
写真は講堂の正門で、こちらは皇族や将官など身分の高い人専用の車寄せだそうです。
呉の大空襲でも被害をうけておらず、昔の写真と比較しても変化が無いのがなんとも不思議です。

昭和天皇も訪れた事があるという講堂の中。ここで軍服に身を包んだ学生たちはどんな思いでどんな話を聞いたのでしょう?
時間を超えて圧してくる厳かな空気感に我知らず背筋が伸びます。

こちらは学生たちが過ごす宿舎。レンガは全て英国からの輸入品で、通常のレンガよりもずっと高温で焼かれているため、中の空気は抜け表面はつるつるに溶けていて、ホームセンターでよく見るレンガとは全くの別物です。
当時としては大変高価なもので、レンガ1個の値段が職人の日当の何倍もの価格だったそうです。
学生たちは起床ラッパが成ると、寝床を整え、パンイチでグラウンドに3分以内に整列して朝の体操をするのが日課だそう。
寝起きの悪いfioは入学できそうにありません…
そういえば当時の兵学校はとてもレベルが高く、兵学校の滑り止めに帝国大学を受けていたのだそう。ほんとうかな?

👆の宿舎の中の一直線の廊下です。多分戦争映画とかで撮影に使われた場所で、初めての訪問なのに既視感が。
見学中も、白い詰襟の仕官候補生の制服に身を包んだカッコいい学生さん達が行き来していました。

資料館の建物の裏には、戦艦大和の砲弾や特殊潜航艇、酸素魚雷等が展示されています。魚雷に操縦席を付けたような特殊潜航艇とか回天には乗りたくないと心の底から思うのです。
こういう兵器を当時若干21歳の士官が考案して作戦実行していたなんて…
今の愛国心のかけらも無い教育もどうかと思いますが、当時の教育というのも恐ろしいと思ってしまいます。
当時の連合国が日本人の精神性と報復を極度に恐れたというのも頷けます。

教育参考館という資料館の中は撮影禁止だったのですが、日中戦争や日露戦争の頃からの軍拡の歴史に始まり、全特攻隊員の名前が刻まれた石板や血のついた外套の様な生々しいものまで様々な品が展示されています。展示品のほんの一部は👇で見ることができます。
https://www.mod.go.jp/msdf/onemss/about/facility/index-sankou.html
特に特攻隊員の親や年少の兄弟に宛てた、帝国軍人としての精神と、1人の人間としての人間らしい思いやりのないまぜになった遺書は読んでいて胸に迫るものがあり、泣きそうになりながら見てきました。
そんな中、横山大観の「正気放光」に出会ったのは思いがけない驚きでした。
なんでも展覧会終了後海軍省を通じて江田島海軍兵学校に寄贈されたものだそうです。

今回江田島に来たもう一つの目的は、太平洋戦争を生き抜いた幸運艦、陽炎型駆逐艦雪風の舵輪と主錨に会いたかったのです。雪風は大和の沖縄特攻からも無傷で帰還し、戦後は台湾海軍旗艦を務め、昭和44年に破損解体される迄活躍した凄い船です。
昭和46年に台湾から雪風保存会に舵輪と主錨と時計が変換され舵輪と時計は資料館に、舵輪は校庭に展示されています。
待受にしたら、幸運にあやかれるかも?

旅の3日目は雨予報だったこともあり、岩国市内観光です。👆は宇野千代生家の外観。
普通の住宅街の中にいきなり昔風の建物が出現。
まぁ元の住人が有名になったとは言え元々は普通の一般住宅なので当然ですが、岩国在住の友人も何度かチャレンジしていまだに辿り着けていないとか(笑)
市内ではもうこういった古風な建物はほぼ絶滅しているので貴重です。

宇野千代生家のお庭がとっても素敵でリラックス出来るので何時間でもベンチに腰掛けてぼーっとできそう。と、ぼんやりそんな事を考えていたら足首を蚊に刺されてしまいました…

中は割と小ぶりな建物なのですが、手入れが行き届いていてとっても良い雰囲気でした。ボランティアで建物の管理をしているおばさま達と、1時間もおしゃべりしてすっかり長居してしまったのでした。

宇野千代生家を後にしてトコトコ歩いて錦川を渡り、岩国城下町エリアに雰囲気のある建物を探しに行ったのですが…既に普通の住宅街と化していて、撮影を早々に諦めたfio は錦帯橋の方角へ適当に歩き始めると、偶然に?吸い寄せられる様に地元の日本酒の飲み比べが出来る「本家松がね」にたどり着きました。
https://honke-matsugane.jp/
岩国の代表的な銘柄
雁木、五橋、村重、金雀、獺祭が、それぞれ一口300円で試飲出来てオススメです。
fioのお気に入りは金雀で、「入手困難なので、もし見かけたら即買いですよ!!」って言われて探してみたのですが本当にどの酒屋さんでも売り切れ…
他には名物だけどあまりお勧めされてないw岩国寿しが1口150円で食べれたり、ちょっとずつ味見するにはとっても良い所です。
建物も外見も屋内も昔の長屋風で気分があがります♪

お酒を頂いてご機嫌のfioは有名な錦帯橋へ向かいました。有名な景色を自分のカメラに収められるのってちょっと嬉しい♪
東京の日本橋、長崎の眼鏡橋とあわせて日本三名橋に数えられる錦帯橋は、世界的にも唯一の構造で掛けられている橋だそうです。
実際に渡るとアーチ部分の勾配は見た目よりもかなり急で重ね張りされた木板が階段状になっており、歩く時には少々注意が必要でした。
8月には有名な鵜飼いが見られるそうで、橋を渡った先には鵜がいっぱい飼われた鵜小屋も有りました。
もっとも、岩国は元々鵜が多過ぎるらしく、空港近くの水場でも野生の鵜が魚を取る姿がみられました。

錦帯橋を渡ってすぐのところに、TVで紹介されて有名なソフトクリームのお店「むさし」が有ります。番組名もでかでかと看板に掲げちゃってますね(笑)
ソフトクリームの種類は今では190種類を超えるそう…
そんなに作ったって、そんなに食べられるわけじゃないのよ~