自己紹介
弾正忠(だんじょうのちゅう/だんじょうのじょう)
元「やぶら小路ぶら小路」。
「弾正忠」は、中央行政の監察、都の風俗の取り締まりを行う弾正台の職位の一つです。
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「大宝律令」以後の律令制では、天皇の下に、朝廷の祭祀を担当する神祇官と国政を統括する太政官が置かれ(二官)、太政官の下に実際の行政を分担する八省が置かれました(二官八省)。
二官八省の他にも、行政組織を監察する「弾正台」や宮中を守る衛府が天皇の直轄機関として置かれました(まとめて、二官八省一台五衛府)。
各官司の中核職員は、『長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)』の4等級で構成されました(四等官:しとうかん)。
「弾正台」の四等官は、大まかには、
・長官:尹(だんじょうのいん/だんじょうのかみ)
・次官:弼(だんじょうのひつ/だんじょうのすけ)
・判官:忠(だんじょうのちゅう/だんじょうのじょう)
・主典:疏(だんじょうのそ/だんじょうのさかん)
と称されました。
戦国時代に「弾正」と称した武将は数多くいますが、
「織田弾正忠家(信長の家系)」は、朝廷に公認されています。
上杉謙信は天文21年(1552年)に弾正少弼に叙任されています。
松永久秀も永禄4年(1561年)に弾正少弼に叙任されています。
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