№1277/1961年10月15日発売・坂本九/作詞は永六輔、作曲は中村八大「上を向いて歩こう」
公開終了

№1277/1961年10月15日発売・坂本九/作詞は永六輔、作曲は中村八大「上を向いて歩こう」


「№1277/1961年10月15日発売・坂本九/作詞は永六輔、作曲は中村八大「上を向いて歩こう」」のコメント

追加事項

出生名 坂本 九
(さかもと ひさし さん)
9番目に生まれので、久を
九 とした。
あだ名、きゅう(九)ちゃん
高校生時代に親が離婚し
母方の旧姓、大島となった。

因みに、上を向いて歩こう は
英語版が登場するが
(英訳版は売れなかった
本人が歌ったのかは不明?)
唯一、日本語レコードが売れた
(オリジナル)
結果的に、全て日本語で
世界で通じる歌となっている。
アメリカ
ビルボード Hot 100で3週連続1位は
日本出身者は2025年1月現在でも
坂本九さんのみである。

また、アメリカで、
ゴールドディスク賞は100万枚越え
日本人初は坂本九さんのみ。

世界で唯一、日本語で昔から、
70の国と地域で
知っている歌となっている。
日本人も知っているが
(理論上)
外国人も同じ様に歌える。

この曲のヒットに伴い、1963年、
坂本はスティーブ・アレン・ショーに
招かれ渡米する。
エド・サリヴァン・ショーにも
招かれたが、自身が主役の
映画「刀を抜いて」の撮影
スケジュールと合わず、エドのほうは
出演は叶わなかった。渡米の際、
キャピトル社長一家、
当時のニューヨーク市長、
クインシー・ジョーンズ、
ディズニーランド副社長や
多くのアーティストや著名人と
対面しており、
空港には1万人のファンが集まるなど、
非常に歓迎された日本人だった。
妻の柏木によると、結婚後、
柏木と坂本がプライベートで
ロサンゼルスに行って
アーティストのショーを
観客席で見ていたとき、
「SUKIYAKIの
キュー・サカモトが来ている」
と司会者に紹介されたという。