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2025-38 びわ湖の底の水中遺跡 古墳時代の「かめ」沈む様子 撮影に成功
rabauruさん
Gマスター「2025-38 びわ湖の底の水中遺跡 古墳時代の「かめ」沈む様子 撮影に成功」のコメント
<追記します>
●葛籠尾崎湖底遺跡とは
葛籠尾崎湖底遺跡は滋賀県長浜市のびわ湖北部の沖合およそ10メートルから700メートル、水深およそ10メートルから70メートルにかけて広がる水中遺跡です。
1924年に地元の漁業者が底引き網で縄文土器を偶然、引き上げたことがきっかけでその存在が明らかになりました。
これまでに約7000年前の縄文時代早期から平安時代にかけての土器、200点以上が引き上げられています。
びわ湖の湖底には合わせておよそ80の水中遺跡が確認されていますが、ほとんどは水深が浅い場所にあり、かつて陸上にあったものが水位の上昇などで水没したと考えられています。
一方、水深が深い葛籠尾崎湖底遺跡からなぜ土器が見つかるのかは謎で、地震による地盤沈下で近くの集落から流れ出したとする説や、祭祀のため意図的に沈めたとする説、船で運んでいた積み荷が途中で落ちたとする説などがありましたが、有力な手がかりがなくはっきりとした理由は分かっていませんでした。
国内で初めて水中遺跡が見つかったのは1908年、長野県にある諏訪湖の「曽根遺跡」で、「葛籠尾崎湖底遺跡」は2番目の発見ですが、1970年代から始まったびわ湖の総合開発事業に伴って数多くの水中調査が行われたため、日本の水中考古学研究の先駆けとも言われています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250918/k10014924971000.html
●葛籠尾崎湖底遺跡とは
葛籠尾崎湖底遺跡は滋賀県長浜市のびわ湖北部の沖合およそ10メートルから700メートル、水深およそ10メートルから70メートルにかけて広がる水中遺跡です。
1924年に地元の漁業者が底引き網で縄文土器を偶然、引き上げたことがきっかけでその存在が明らかになりました。
これまでに約7000年前の縄文時代早期から平安時代にかけての土器、200点以上が引き上げられています。
びわ湖の湖底には合わせておよそ80の水中遺跡が確認されていますが、ほとんどは水深が浅い場所にあり、かつて陸上にあったものが水位の上昇などで水没したと考えられています。
一方、水深が深い葛籠尾崎湖底遺跡からなぜ土器が見つかるのかは謎で、地震による地盤沈下で近くの集落から流れ出したとする説や、祭祀のため意図的に沈めたとする説、船で運んでいた積み荷が途中で落ちたとする説などがありましたが、有力な手がかりがなくはっきりとした理由は分かっていませんでした。
国内で初めて水中遺跡が見つかったのは1908年、長野県にある諏訪湖の「曽根遺跡」で、「葛籠尾崎湖底遺跡」は2番目の発見ですが、1970年代から始まったびわ湖の総合開発事業に伴って数多くの水中調査が行われたため、日本の水中考古学研究の先駆けとも言われています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250918/k10014924971000.html