もふパケ🐰
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「もふパケ🐰」のコメント

>> まいみね- さん

おおたかの森 名前は有名ですが今もなおオオタカが確認できるのかは謎です。

 流山には、まずは利根運河に向かいました。実は千葉県って島なんですよ(^^)って言われるの聞いたことありますか。東は太平洋、南西は東京湾、北西は江戸川、北は利根川に囲まれ本州とは陸続きじゃないんですよ。その利根川と江戸川をつなぐ利根運河ってのがあるんですよ。
 明治時代、茨城県の農産物や、東北地方の特産品を東京へ運ぶのに海運を利用する場合、房総半島を回って東京湾へ入るルートは、黒潮のおかげでしんどかったんです。そこで銚子から利根川を上り、関宿で江戸川に入り東京へ荷を運んでました。しかしそのルートも長いし、関宿が難所で特に大きな船は座礁することもしばしば。そこで、利根川の途中で船を停泊させ、陸路で東京に荷を運ぶ手段も取られました。その一方で関宿をパスする運河の需要が高まりました。しかしながら千葉県令(今でいう千葉県知事)は、水運ではなく鉄道に力を入れたく建設に反対。(実際利根運河の運用開始が明治23年なのに対し、常磐線は明治29年に東京まで延伸している。)そこで公共事業ではなく民間会社の力で運河を作ることになった。(wikiペディアだとちょっと説明が違うのよねぇ。僕が学んだのは運河交流会館で聞いた話です。)
 通常運河を新しく掘る場合はまっすく掘りますが、この運河はかなり曲がりくねっています。それは新しく掘る水路を最小限にするように、すでにあった川や沼をつなぐ事でコストと工事期間を最小にしたのです。運河開通当初は船の往来も多く、観光船も航行するほどでした。ですが、ライバルの鉄道が成長したことに加え、台風などの水害の度に、堆積した土砂を掘るのを繰り返し、財政を圧迫した。そしてついに昭和16年の洪水後、国に売却をし運河としての役割を終えた。

あっ、運河の話だけでこんなに長くなった。新選組とか、みりんとか、浅間神社とか、流山鉄道の引き込み線の話とか結構面白い町でした。