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えりゅしおん窟 125号基 (雷の先駆者)
えりゅしおんさん
SGマスタ「えりゅしおん窟 125号基 (雷の先駆者)」のコメント
1995年、それまで地方競馬所属馬はオールカマー等の限られた交流レースを除けば転籍でもしない限り中央競馬開催レースに参戦する事は適わなかったのですが、この年から大幅に緩和され、一般レース、更には条件さえ満たせば最高峰のGⅠレースであっても地方競馬に所属したまま参戦が可能となりました。
そんな交流元年に果敢に挑んだのが、地元笠松競馬場で10戦無敗を誇ったライデンリーダーです。
ライデンリーダーはまず、桜花賞の出走権利を得る為、第29回報知杯4歳牝馬特別(現在の報知杯フィリーズレビュー GⅡ)へ参戦します。この件について下馬評は「いくら地元で無敗であっても中央で勝てる程甘くはない」「いや、オグリキャップを生んだ笠松競馬場。ひょっとしたら勝ちもあるかも」と賛否両論。オッズはエイユーギャルに次ぐ2番人気となります。
そしてレースがスタート。集団の中央から後方に位置していたライデンリーダーは直線に入るや大外に持出し、凄まじい末脚をもって先行するエイユーギャルらを一気にかわし、3馬身半差をつけての快勝。これには「杉本節」なる独特の実況で知られる名物アナウンサー杉本清にして「これは強い! 恐れ入った!」と絶句する有様。
迎えた本番の桜花賞は、これだけ強い勝ち方をしただけに当然ながら1番人気となりますが、「地方馬に易々とはGⅠは獲らせん!」と、徹底した包囲網を築かれて4着に敗れてしまいます。
それでも二冠目となるオークスへの出走権は得られたので再挑戦。しかし今度は13着と惨敗してしまいます。
秋となり、ローズステークス(GⅡ)に出走し3着となった事で、三冠最後のエリザベス女王杯の出走権を得て三度挑戦しますが、やはり13着に惨敗。それどころか地元笠松のレースでも勝てなくなり、ひっそりと引退しました。
結果的にはGⅠを手にする事は出来ませんでしたが、牝馬三冠レース全てに挑み、頭文字"RL"を縫込んだ赤いメンコに4歳牝馬特別で魅せた鋭い末脚が印象的な偉大なる先駆者です。
笠松競馬場ではその功績から「ライデンリーダー記念」という冠レースが開催されてます。
そんな交流元年に果敢に挑んだのが、地元笠松競馬場で10戦無敗を誇ったライデンリーダーです。
ライデンリーダーはまず、桜花賞の出走権利を得る為、第29回報知杯4歳牝馬特別(現在の報知杯フィリーズレビュー GⅡ)へ参戦します。この件について下馬評は「いくら地元で無敗であっても中央で勝てる程甘くはない」「いや、オグリキャップを生んだ笠松競馬場。ひょっとしたら勝ちもあるかも」と賛否両論。オッズはエイユーギャルに次ぐ2番人気となります。
そしてレースがスタート。集団の中央から後方に位置していたライデンリーダーは直線に入るや大外に持出し、凄まじい末脚をもって先行するエイユーギャルらを一気にかわし、3馬身半差をつけての快勝。これには「杉本節」なる独特の実況で知られる名物アナウンサー杉本清にして「これは強い! 恐れ入った!」と絶句する有様。
迎えた本番の桜花賞は、これだけ強い勝ち方をしただけに当然ながら1番人気となりますが、「地方馬に易々とはGⅠは獲らせん!」と、徹底した包囲網を築かれて4着に敗れてしまいます。
それでも二冠目となるオークスへの出走権は得られたので再挑戦。しかし今度は13着と惨敗してしまいます。
秋となり、ローズステークス(GⅡ)に出走し3着となった事で、三冠最後のエリザベス女王杯の出走権を得て三度挑戦しますが、やはり13着に惨敗。それどころか地元笠松のレースでも勝てなくなり、ひっそりと引退しました。
結果的にはGⅠを手にする事は出来ませんでしたが、牝馬三冠レース全てに挑み、頭文字"RL"を縫込んだ赤いメンコに4歳牝馬特別で魅せた鋭い末脚が印象的な偉大なる先駆者です。
笠松競馬場ではその功績から「ライデンリーダー記念」という冠レースが開催されてます。
