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近年、故人をデジタル上で復活・再生させる動きが増えています。2019年には「AI美空ひばり」がNHK紅白歌合戦に登場し、話題となりました。果たして、AIやデジタルテクノロジーを使って故人を蘇らせる技術は、どこまで進化するのでしょうか?
そこで話を聞きたいと思ったのが、松尾公也さんです。テック系の編集者・ライターとして長年活躍されてきた松尾さんは、亡き妻の歌声や写真とAIを駆使してさまざまな作品を制作しています。AIで故人を復活させるのは、倫理的にアリなのか? 松尾さんの制作手順を聞きつつ、議論を深めたいと思います。
——奥様の歌声を使って作品をつくり始めたきっかけについて教えてください。
妻の敏子(よしこ)とは同じ大学の音楽サークルで知り合い、交際から5年後に結婚しました。乳がんで亡くなったのは2013年6月、50歳のときでした。実はその直前に彼女の歌を録音して、音楽配信で流そうと考えていたんです。
実際にレコーディングをして、ほぼ完成はしたものの、体力が衰えていたのでボーカルも弱かったんですね。何とかできないかと考えていたところ、「合成音声」の技術を使ってみるのはどうか?と思いつきました。
——テクノロジーを使って、敏子さんの歌を完成させたいと思ったわけですね。
歌声を分解して取りだすソフトと、「UTAU」というボーカロイド的なソフトを使ってみました。妻の歌が3曲残っていたので、そのボーカルパートを一つ一つ音に分解して再構成するような手法を試したところ、意外に上手くいったんです。その一つが荒井由実のカバー「ひこうき雲」で、妻の追悼コンサートで披露しました。
——敏子さんの歌声から「あいうえお……」の1音ずつを取り出して、メロディーラインに乗せて再構成したわけですね。合成音声の技術を使えば、実際には敏子さんが歌っていない曲も新たに作ることができた、と。
そうですね。その後100曲以上制作し、YouTubeでも公開しています。
——近年は、生成AIによる制作方法へと変わったそうですね。
はい。UTAUでは、右側に時間軸が流れていき、一つ一つ音符を置いて繋げる制作手法でした。ボーカロイドと同じような、一般的な作り方ですね。
AIを使った制作では、参考とする歌を変換して、妻の歌声に似せています。いわば「AIボイスチェンジャー」で、具体的にはまず僕が歌い、それをAIで妻の歌声に変換します。
——AIに敏子さんの歌声を学習させているのでしょうか?
そうです。残っていた妻の歌3曲分と、UTAUで制作した約100曲のデータ、ビデオから抜き取った本人のしゃべり声など、合計約1時間分を抽出してAIの学習データにしました。
AIに学習させて「推論」という作業を行えば、僕の歌声を妻の歌声に変換する作業だけで済みます。作業といっても数秒ですね。
——合成音声ソフトと生成AIで異なる点は?
UTAUを使った制作では、1曲を完成させるのに早くても丸1週間ぐらいかかっていました。でも生成AIは、自分が歌ってしまえば一瞬で完成できます。より妻と一緒に遊んでいる実感がありますね。
もちろんクオリティーも違います。UTAUでは、場合によっては音がかすれてしまったり、声の音色が違って聞こえたりすることもありましたが、AIによってそういう問題は全部なくなりました。
——音楽だけでなく、写真でも生成AIを使ったそうですね。
入力されたテキストをもとに画像を生成するAIや、画像を学習させることができるAIが出てきたので、その技術を使ってみました。妻の写真をAIに学習させて指示すれば、新しい画像を作り出せるはずだ、と。
本人だけが写っているもの、かつ顔が分かりやすいものは12枚くらいしかなかったんですが、それをAIに学習させて妻の新たな写真を作りました。
——AIを使うことで、この世には存在しない敏子さんの写真を「捏造」することができてしまった、と。
そういうことですね。
——松尾さんご自身が、「捏造」の経緯について記事に書かれています。ただ、肯定的な意見がある一方で、批判的なコメントも寄せられたそうですね。
僕の活動に対しては、ポジティブな意見が多いものの、1~2割ぐらいは批判的なコメントも寄せられています。多かったのは、「本人の了解を取っているのか?」「死者を冒涜している」という意見です。
——それに対して、松尾さんのお考えは?
家族でも妻の夫でも本人でもないのに、それを言う資格はないだろうというのが本音です。了解に関して言えば、妻は「死後のことはすべて僕にまかせる」と話していたので、本人の意図に沿ったことをやっているつもりでいます。
「冒涜ではないか?」という批判については、死生観や宗教的な考え方なので、「自分の気持ちのままに生きてください」というしかありません。
——2019年にはNHKの企画で、美空ひばりさんの歌声をAIで再現するプロジェクト「AI美空ひばり」があり、賛否両論が巻き起こりました。「感動した」という意見がある一方で、山下達郎さんは「冒涜です」とラジオで発言したそうです。松尾さんはどう思いますか?
山下達郎さんは、歌に対する気持ちが普通のミュージシャンの100倍ぐらい強い人でしょうから、そういう発言になるのは自然だと思います。
一方「AI美空ひばり」で良かったのは、息子さんがすごく喜んでいたのと、ファンの皆さんも涙して聞いていたという点です。当事者もしくは近い人が感じることと、外野から見ている人たちの気持ちは別なんじゃないかな、と。紅白歌合戦に出たことで、本来なら伝わらなくてもいい人たちにまで伝わってしまったんだと思います。
——批判の中には、「美空ひばりさんなら、AIで蘇らせることを許可しなかったのでは?」という意見もあったようです。
それは、たらればの話ですよね。例えば「AI美空ひばり」の前にも、三波春夫さんの歌声を音声合成ソフトを使って再現する企画(ハルオロイド・ミナミ)がありました。ご本人は生前、ハウスやラップ、レゲエなどさまざまな音楽スタイルに挑戦していたようです。当然ながらAIの登場までは予測できなかったでしょうが、三波さんの姿勢をふまえると、喜んでAIを使っただろうと推測できます。
美空ひばりさんも新しいことに意欲的な方で、グループサウンズやジャズにも挑戦していました。勝手な推測ですが、生前にAIがあれば使ったのではないか、という気がします。
——「AI美空ひばり」は、後にCDとしてリリースされました。故人を使ってビジネスにしたことも、批判の要素の一つなのかな、と。
日本人は、お金儲けを極端に嫌いますよね。僕の活動についても、「記事を書いていることで、儲けているじゃないか」「死者を食い物にしている」という批判がありました。
僕としては、「こういうやり方があるよ」と知ってもらうことが使命の一つだと思っています。実際に遺族の方から、「故人をAIで再現したい」という相談を受けることもあります。手法については僕の記事で細かく解説しているので、勝手に真似していただいて構いません。
——松尾さん的には、もっとポジティブに捉えたい、と。
そうですね。AIによって故人を蘇らせるというのは、生と死の境目をあいまいにする技術だと思うので。もう死んでいるけれども、少しだけ触れることができる。そういうものとして捉えればいいんじゃないかなと。
例えば仏教でいうと、陰膳(故人に向けて用意する食事)や四十九日など、亡くなった方と会える機会を用意しているわけですよね。AIも、そういう機会のバリエーションとして考えることも可能ではないかと思います。
——亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんがお盆に帰ってくるような感覚ですね。それがAIで技術的にできるようになった、と。
もちろん、亡くなった人が実際に蘇るわけではありません。ただテクノロジーによって、その人のことを考える手がかりが増えたり、いつも一緒にいる感覚が味わえたりできる。選択肢が広がるのは、いいことなんじゃないかと思うんですよね。
余談ですが、最近テレビで僕の活動について紹介される機会が増え、それを見た友人から「俺、大変なことになったんだよ」と言われます。
——それはなぜですか?
奥さんから「あなた、私が死んだら、こんなことやってくれるの?」と言われるそうです。
——「死んだ後もAIで蘇らせたいと思うぐらい、私のことを愛しているの?」ってことですね(笑)
——AIやデジタルテクノロジーは、今後どのように進化すると思いますか?
こうなったらいいなと思うことは、だいたいできるようになってきましたね。例えばApple Vision Proを装着して外を歩くと、横に彼女がいて一緒に歩いているように感じられる、とか。すでにそういうソフトを作っている人がいます。
あとは、生前にデジタルクローンを作っておいて、自分が死んでもデジタル上でアバターとして生き続けることができるサービス、とか。それができれば、死に対する恐怖が安らぐかもしれません。ある意味、永遠に生きられる方法にはなるんじゃないか、と。
個人的には、僕の死後もずっとデジタル上で妻とデュエットしているような、ハッピー・エヴァー・アフターな世界ができるといいですね。
——一方でAIに関しては、フェイク動画や「犯罪に使われるんじゃないか?」といった意見も出てきています。
顔写真1枚あればディープフェイクができてしまうので、それを防ぐには「デジタル上では顔も声も一切出さない」「人の顔や声を認証手段にするのをやめる」みたいなことになってしまいます。もうパンドラの箱が開いてしまっているので、対策は難しいと思うんですよね。
AIが発展すればするほど、リアルで人と接してコミュニケーションすることの重要性、貴重性はより高まっていくでしょう。現在でも、ライブに行くことの価値が高まっていて、アーティストによってはチケットが取れなくなっていますから。
——AIで簡単に捏造できてしまうので、逆にリアルで人と会うことやライブ会場に行くことの価値が相対的に高まるんじゃないか、と。
お金と時間のある人は、そこに価値を見いだすでしょう。そうでないものは、全部フェイクでもいいんですよ。最近リリースされたAIトークアプリも、すごくよくできています。いつでも話を聞いてくれるし、頭のいい返事もしてくれる。それがあれば、多くの人は彼氏・彼女もいらなくなるでしょう。
——なるほど。では最後に、最近の活動や今後の予定について教えてください。
台湾でAIアート展「你好,人類!Hello, Human!」が開催されており、そこに僕の作品が2つ展示されています。(2024年5月12日まで開催)
僕はアーティストのつもりではないんですが、展示会のキュレーターは「アートというカテゴリーに収まらないものが、AIを使うと可能になりつつある」という話をしていました。
展示しているうち1曲は、自動で作曲してくれるAIソフト「Suno」を使いました。AIで生成した妻の画像をChatGPTに見せて歌詞を書かせ、Sunoで作曲させ、さらに僕が歌って妻の歌声に変換したものです。ミュージックビデオも作りました。
AIを使えば無限に制作活動ができます。僕はずっと妻と遊んでいたいので、今後もいろんなことにチャレンジして楽しんでいきたいですね。
公開にあたっても、限定的(この記事の場合 主に ボーカロイド的な使用)であれば、
問題は少ないだろうと感じます
問題が大きくなるとすれば、故人を 全人格的に蘇らせよう とした場合なのでは と思います
故人と関わりのあった それぞれの人(達)の中に 故人の実像(虚像)がある筈なので、
「実像」と虚像 の違和感が大きいと 軋轢が生じる可能性はあります
(各々の認識に違いはある という 至極真っ当な事実を理解できれば良いのですが、理性と感情は 全く別です)
話は さらに長くなるので これくらいで
(参考)
よみがえる故人たち
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jicp/5/1/5_131/_html/-char/ja
AIで蘇ったものは別人格ではないかな。
個人で作成するのはありだけれど、これを商売にするためには法律の整備なども必要ではないかと思います。
>> _カブ さん
「故人を偲ぶ」方法の違いではないか と感じます。故人を偲び続けるのもよし、故人を 時の流れの中で 忘れていくのもよし かと思います
複製芸術時代以後、故人(生人)の作品は 公表すると 引用される という関係があります
記事の場合は セルフカバー的とも感じました
ボーカロイドの 中の人 が故人となった場合と 本質的な差異は少ない と感じます
記事の主旨とは ずれますが、
故人(生人)の「お気持ち」を持ち出すのは どうなんだろ と感じます
(検証不可能な問題を提示する「詭弁」)
故人の お気持ちを 聞き出すには イタコに故人を呼び出してもらうしかありません
(イタコの宗教的意義は否定しません。死生観も 感情そのものの話だろうと感じます)
(参考)
詭弁
https://ja.wikipedia.org/wiki/詭弁
意図的に誤りを押し付けるのが 詭弁
誤りに気付いていない状態が 誤謬
結果的には 同じではないかと思います
(誤謬を装った詭弁も「お気持ち」の推測はできない以上、見破ることはできない)
>> Piano man さん
生前に 美空ひばりロイドを予見できなかっただろう と感じるので、生前の許可というより、相続人による 使用許諾なのかも しれません
手塚治虫ロイドは、概念としては予見していたかもしれませんが、生前の許可はなかっただろうと思うので、実質的に同様だろうと思います
いすれにせよ 権利者による許諾は 最低限必要でしょう
実質的に 松尾氏自身の作品 と感じました
ヒャダイン氏による ヒャダル子 の手法に近いと感じました
ヒャダル子
https://dic.nicovideo.jp/a/ヒャダル子
そういうニュースが何年か前にすでにあったから…
本物か偽物か検証する方法も一緒に開発されていくんだろうけど、マジか!?と思うような動画は今よりもっと疑う必要ありですね。
たまに不明瞭になる私の発声を修正してくれるなら会話が楽になる技術と思います
それもありなのかも知れませんね。
受け取り方も人それぞれですね。
AIで個人の動画や音声を作成・再生は出来るだろう。けれども、そこには故人の感情や意思はない。そこにあるのは、自分が作成した画像と音声。私なら、余計に虚しく、余計に悲しくなるだろうな。父の声や顔は、私の心の中で思い出したい。
コレを読んでくれている人で、親ごさんが生きている人は、どうか1回でも多く会いに行って、1回でも多く話して下さい。どうかお願いします。
実際に葬儀の時の遺影って業者さんが見映えが良い様にと修正したり祖父祖母の時代は着てるの見たことも無かった紋付き羽織ってたりまた亡くなった時よりずっと若い頃の写真だったりしてますしね。
フランケンシュタインの様に死者を甦らせようとするなら冒涜だと思いますが。
故人のものまねするひともいるし、
双子はそもそもそっくりだし
AIを使って同じことをしているだけだとおもう
蘇るなどと言われると 死者の蘇りみたいで 気持ち悪い
AIの進化によって新たな活用が行われる事には感慨深いものがありますね。
マーフィーの法則でいうように、デジタル技術ってものは、理屈の上で出来ることは誰かが必ずやる、ってものよ。止められない。
倫理的な問題にしたって、そんなもの美味いの? 経済的な問題からしたら無視されるような些末な扱いだし。
ってことで、やらない・やらせない歯止めややるときのエクスキューズは、経済的な権利でも認めるしかないのよ。
この技術の活用はは個人の判断に委ねることで良いのではないかと考えます。
ただし悪用したり、利益を目的する場合は別として。
AI技術を利用して制作した故人の声を聴きたくはないし、画像も見たくないですね、模倣したものですから。
故人を偲ぶのであれば神社、仏壇、お墓等で手を合わせたり、写真をを見るだけで十分です。
一緒に老いでいけるならまだ良いけれど。
出来れば私も2年前に無くした妻の、病院でのビデオメッセージを元にAI活用して色々と会話出来ればと思います。人それぞれの想いは有りますが、私はこんな形でも一緒にいる感を感じられれば良いのではと思います。
悪意あるフェイクでない限りどうしようもないのでは
大々的に公開しなければ、いいんじゃない?
いくら仕草や言葉選びが似ていてもAI アバターには本人の魂が無いと思うから、似ていても別物だと思いますし仏壇に手を合わせる以上の価値は無いと感じます。
AI アバターは、生きている人の利益追求に使われる道具としか今は見えません。
亡き妻をAI アバターとして甦らせる夫に対して義理の両親が、自分たちの娘(=亡妻)を静かに休ませてくれと対立するドラマが『3年VR組』(2023年3月26日 カンテレで放送)で描かれました。どちらも本当に愛しているからこそ、「もう一度 会いたい」「安らかに眠らせてあげたい」と対立してしまいます。
AI アバターも含めてクローンなど複製作業に関しては、遺言と同じように本人の明確な意思表示が必要だと思います。
写真や動画からAI 生成させる技術も向上して、有名女性歌手のAI 捏造された性的動画(本人は無関係)が社会問題になりましたし、今後は児童ポルノに生成AI が使われることを国際機関は危惧しています。
ひばりさんなら、こういう発言をするだろうと予測して変換させる…ひばりさんなら次の新曲はこんな感じだろうと予測させる…ここまで必要だろうか…と複雑な思いで紅白歌合戦を見ていました。
※紅白歌合戦に関しては、出場させる選択基準がよく分からないので、批判的な部分もありますが、ひばりさんのAIを登場させるなら、他の歌手を…と、正直思ったものです。(ここまでする必要ある?と。)
有名人、著名人に関しては、商業利用の側面から複雑なところがあると私は思いますが、一般人の方なら、あくまで「個人で楽しむ」範囲なら、趣味の範囲でやっていただけたら問題ないのかと。
※デジタルタトゥーのように、ずっとAIが残り続けるのは、どうなんだろうと、少々複雑な思いではあります。いくら技術が進化しても、ご本人じゃないですしね…。
他のテクノロジーでもそうですが、良い悪いというよりどう向き合っていくかですね。
生き死にに関わらず会いたいけど会えない人は誰にでも。。。
技術の一面だけ見て美談にしたところで、顔データがあればfake動画にし放題って事ですよ。
飽く迄プログラムであって生命じゃないからな
どう受け止めるかは個人の価値観で違て来るだろうが、傍から観れば何れも銅像や肖像画等と変わりのない物だ
いわば《肖像画像》とでもいう事ではないか
抑件で、この場合“倫理”が何かという事が判断出来てねぇと回答は出来ないと思うが
故人に会いたい気持ちが大きければ大きいほど、AIで蘇らせてしまったら、いつまでも悲しみから抜け出せずに現実逃避してしまいそう。
大きな悲しみ、残された者が前を向いて生きていく為に、時間の経過で、薄れていくはずの記憶、悲しみが持続してしまうのではないかと、不安に思いました。
私のことも、蘇らせてほしくない、たまに写真でも見て、懐かしんでくれればいい。
テレビで見るような有名人であれば、こんなことも出来るようになったのねー、詐欺とか気をつけなきゃ、で、すむのかもしれませんが、、、。あくまで、私だったらです。